川紀行 第2部 ヨーロッパ編

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           upload 2006/1/18

第 2 部 ヨーロッパ

1 イギリス
 1.1 テームズ川
 1.2 ロンドン橋
 1.3 ハンプトンコート
 1.4 川遊び
 1.5 ウォータールー

2 ドイツ
 2.1 ライン川
 2.2 マイン川
 2.3 エルベ川
 2.4 ドレスデン
 2.5 シュピンガー宮殿
 2.6 マイセン
 2.7 ハンブルグ

3. チェコ
 3.1 モルダウ川
 3.2 プラハ
 3.3 カレル橋
 
4. オーストリア
 4.1 青きドナウ
 4.2 ドナウは青い?
 4.3 ザルツァハ川
 4.4 イン川
 4.5 ツィラータール川
 4.6 エッツタール川

5. ハンガリー
 5.1 ブタペスト(ドナウ川)

6. スイス
 6.1 リマト川
6.2 バーデン
 6.3 アアレ川(ベルン)
 6.4 ロイス川(ルツェルン)

7. フランス
7.1 セーヌ川
 7.2 ソーヌ川(リヨン)

8. フィンランド
 8.1 タンメルコスギ川(タンペレ)
 8.2 サウナ
 8.3 ハメリンナ

 

 

1. イギリス

 1.1 テームズ川

 テームズ川。あまりにも有名なこの川は勿論ロンドンにある。

初めておとずれた時は海外旅行が初めての時で、ヒースロー空港でどう喋ったらよいのか、手荷物検査はどうするのだろうかとおどおどしてロンドンに着いた.

 そうしてロンドン観光のお決まりコースのウエストミンスター寺院を見学して裏手に回った時にこの川はあった。向かい側にビッグベンの時計台が見える橋の上に立ちロンドンにいることを実感したのだった.



 ロンドンの街を舞台にしたボードゲームにスコットランドヤードというのがある.4〜5人で遊ぶのであるが、1人が泥棒になり逃げる役、他の数人が刑事で泥棒を捕まえる役である.
 新聞紙ぐらいのロンドン地図の上で、駒を動かして泥棒を追い込んで行くのであるが、泥棒がテームズ川のどちら川にいるのかを推測するのが捕まえるコツである.
 そのためには泥棒がどの橋を渡ったのかを考えるので、おのずとテームズの流れを覚える.テームズはS字型です.

 それはさておきテームズ川とビッグベンをバックに赤い二階バスと並んで撮った写真はロンドンの絵はがきそのものである。

 

 1.2 ロンドン橋

 テームズ川は勿論海に流れ込んでいるが、川口よりかなり上流まで川幅が広くて橋が出来なかった。そして川幅が狭くなりやっと橋が出来る場所に開けたのがロンドンだそうだ。

 それがロンドン橋かどうかは定かでないが、ロンドン橋落ちた落ちた落ちた、ロンドン橋落ちたという歌がある。

 これが余りにも有名なので、観光写真にある両側に塔が付いた立派な橋をロンドン橋と思ってしまう。しかしこれはタワーブリッジといってロンドン橋ではない。

 本当のロンドン橋は、なんの変哲もない普通の橋である。この橋も昔は木の橋だったそうで、この歌のように何度も洪水で流されたのだろうか。

 

 1.3 ハンプトンコート

 ロンドンよりテームズ川の上流に向かうとハンプトンコートという宮殿がある。昔、ヘンリー8世が建てて以来約200年にわたって王族の宮殿だったここは、今、博物館のようになっている。

 テームズ川は宮殿の側をゆったりと流れている。川岸には堤防がなく、道からゆるやかな傾斜で緑の芝生が続き水面へと繋がっている。


 イングランドは日本のような山がなく、急に水かさが増すことがない、だから洪水の心配がないので堤防がないのだそうだ。

 ではロンドン橋が落ちたのは洪水ではないのだろうか、と思っていると頭の上を轟音を立ててコンコルドが通り過ぎた。


 1.4 川遊び

ロンドンからオックスフォードを抜けて田舎道をテームズ河に沿ってドライブした。

やはり河には堤防はなく何人かの人が川岸で遊んでいる。

 中には裸になって泳いでいる人もいる。6月中旬なので泳いでもおかしくない季節ではあるけれど、日本人には肌寒いと思える気候である。
 よく見ると隣の人はなんとキルティングのコートを着ている。この取り合わせが奇妙であるが要するに季節とか皆に合わせるのではなくて、自分の思うままに行動しているということだろう。

そこからもう少し田舎に行くと小さな石造りの橋がいくつもある。

 こんもりと太鼓橋の様になっていてその下を小川が流れている。ピーターラビットにも出て来そうな、なかなか絵になる風景である。
 
 この川は昔、舟で物資を運ぶために、イギリスのあちこちに作られた運河で流れもあまりない。だから橋も舟が通れるように太鼓橋になっているのだ。

 しかし舟といっても日本の屋形船程度の大きさなので、川も小さく橋も可愛らしい。バージと言うこの舟は赤や緑に塗られて思わず可愛らしいと思ってしまう。

 そして、このバージでゆったりと景色を見ながら食事をしたりして、1週間ぐらい舟での生活を楽しむのである。これも昔は馬でバージを牽いたそうだが今はエンジン付きである。


 1.5 ウォータールー

 パリからロンドンまでユーロスターで来た。
 この列車はフランスではTGVと同じ新幹線の線路を時速300kmでつっ走るのであるが、ドーバー海峡のトンネルを抜けてイギリスに入ったとたんに普通列車の速度に成り下がってしまう。

 これはイギリスの線路が悪いためだが、それでもこの列車のお蔭でパリからロンドンの日帰りができる。

 ということでロンドンにいるのだが、滞在時間は数時間しかない。ロンドンと言えばパブと相場が決っている。Ye Olde Cheshire Cheese と言うそのパブは表通りから少し入った路地裏にあった。

 シャーロックホームズがワトソン君を連れて出て来そうな石畳の路地だ。

 建物は400年以上の歴史を誇り、木のドアを開けて入ると中は真っ暗と思えるほど暗い。目が慣れると幾つもの部屋に分かれているのが解る。

 パブではカウンターでお金と引き替えにビールもらい、自分で好きな部屋に持って行く。
飲み干せばまたカウンターに行くシステムだ。部屋が薄暗いのは落ち着く。

 多くの文豪がこのパブに通ったというのも頷ける。

 パブを出てテンプルに入ると驚いたことに2月なのにサクラが咲いていたのであるが、それを抜けるとテームズ川に出る。

 そこに大きなウォータールー橋がある。

 この橋から見ると河辺には幾つもの大きな船が停泊している。

これはレストラン船であることは雰囲気からわかる。また長い桟橋に停泊しているのは観光船だろう。
 それにしてもこの橋は結構長くてビールで酔った身には疲れる。

 渡り終った所にあるウォータールー駅から再びユーロスターの座席に身を任せた。

 

2. ドイツ

 2.1 ライン川

 ドイツ、フランクフルトからケルンに向かう車窓から大きな川が2つ見えた。

そこはマインツという町でライン川にマイン川が合流している所だ。

  そこから列車はライン川に沿って走る。

この列車はルフトハンザ航空の特急でドイツ国鉄の線路を走る飛行機という位置づけである。
だからスチュアデスが乗務し機内食が出る。

この機内食を食べながら右手にラインを見る。
 冬なので観光船は止まっているが、時たま長い運搬船が通る。
葡萄畑が続く対岸の山上に古城が次々と現れる。川の中洲に昔の検問所らしき跡が見え、思いは中世に引き込まれる頃ローレライを通過する。

 なじかは知らねど心わびて、

  昔の伝説(つたえ)はいとど身に沁む。      

   わびしく暮れゆくラインの流れ 

    入り日に山々あかく映ゆる。

メロディーを心で刻みながら食後のコーヒーを味わう。

 列車はさらにコブレンツという町を通り、母なるモーゼル川と父なるライン河が合流してますます川幅が広くなりケルンへと向かう。

 

2.2 マイン川

マイン川。この名前はあまり日本人には馴染みがない。

しかしニュールンベルグからフランクフルトという大きな町を流れているのでドイツでは結構有名な川である。

 私がマイン川と出会ったのはビュルツブルグという街である。暗くなってこの街に着いたのであるが、丘の上にオレンジ色の照明に浮かんだ城が見えた。

この城はマリエンベルグ要塞と言うそうだ。

 その手前に長い石橋があり、その下を流れるオレンジ色に反射している川が マイン川だった。この時はこれだけだった。

 ビュルツブルグは、かの有名なロマンチック街道の北の始点である。

 またシーボルトの居た街としても日本人には馴染みが深い、と案内にあるが私はこの街は知らなかった。

 私が再びこの街を訪れたのは、ここでレントゲン博士がエックス線を発見して、その時の部屋が保存されている、と聞いたからだ。

 そこは駅に近い大学の分館の片隅で、実験器具がそのまま展示してあった。そこには先客が居た。

 頭から黒いベールを被った尼さんだった。尼さんと物理の実験器具との取り合わせが面白かったので声をかけようかと思っている内にいなくなった。

 レントゲン博士は写真が趣味だった。
 1800年代にカメラを持っていたことはかなりの道楽だったのだろう。

 博士の写真にマイン川の岸辺から ビュルツブルグの街を撮った写真がある。

 さっそくその地点に赴く。長い石橋を渡った所を岸辺に下る。

少しぬかるんだ足元を気にしながら対岸を見ると、そこはなんと100年以上も前に博士が撮った写真と同じ風景がたたずんでいた。

 教会の尖塔、石造の建物、皆 100年前と同じである。日本で言えば明治の街がそのまま残っているのである。

 いや、この街は数百年も姿を変えずにいる。それどころか今後もずーっと変わらないのだろう。
 マリエンベルグ要塞の城壁から美しく光るマイン川とこの街を眺めた時いっそうこの感を強めた。

 

 2.3 エルベ川

マイン川、ライン川がドイツの南を流れるのに対し、エルベ川はチェコから流れてきてドイツの北を通りハンブルクを経て北海に注ぐ。

 チェコとの国境付近では、両側を山に挟まれた谷を流れている。

谷と言っても木曾川のような険しい谷ではなく、広い川幅でゆったりとした流れである。
 その川岸にはあちこちにキャンピングカーが止まり、自然を楽しむ家族の姿が見える。

所々に民家も点在する。切妻屋根の小さな家が川をバックに緑の中に建っている様は絵になる風景でここらで数泊したくなる。

 多分この辺りは、かってドイツ軍がチェコに進軍したりソ連軍が攻めてきたりしたのだろう。
今は平和そのものである。

 と思っていたら今年は何百年ぶりかの大洪水に見舞われたそうだ。あの家々が流されていないだろうかと心配している。

 

2.4 ドレスデン

 この街は旧東ドイツの街で古都として知られている。

 ここを訪れる前は旧東ドイツということで、少し身構えた。

 ドレスデンの駅はドームに覆われた大きな駅で、出口はちょとした宮殿風で立派なものだ。
しかし駅の横は土道で両側には雑草が生えている。そこを通りながらやはり東ドイツだと思ったが、単に工事中でそこを抜ければ近代的なドイツの町があった。

 このドレスデンの町のど真中をエルベ川が横切っている。

 川の北側は御堂筋ほどもある広い通りで、車道は無くすべて花壇や歩道で両側に小奇麗な店が並んでいる。
 所々にある噴水の周りのベンチで人々が思い思いに寛いでいる。

 その通りを南に突き当たるとエルベ川に掛かる橋に出る。

ほとりには瀟洒な喫茶店があり、庭の席から向かい岸に見事な宮殿風の建物が幾つも見える。
 石造りの建物はどれも立派で所々黒ずんでいて風格がある。幻想的な古都ドレスデンをコーヒーを味わいながら眺める。

 川岸では、幾人もの家族やエルベの恋人達があちこちで寝そベって居る。そして橋の上を最新型低床式の市電がすごい速度で通り過ぎた。


 2.5 ツヴィンガー宮殿

 教会、王宮、オペラ座など目白押しにある立派な建物の中でもツヴィンガー宮殿は一際目を牽く。

建物の彫刻がすごいことよりも全体のデザイン、形が良いし品が良い。
 それにロシア、トルコ辺りの影響を受けたのかエキゾチックでもある。

 噴水のある池に足を浸けると恐ろしく冷たかった。

周りにはこれでもかと言うほど彫刻がある。高校生ぐらいの乙女が横でスケッチを始めた。

 この古い建物の貫禄に圧倒されたが、実は戦争ですべて破壊されたものを全て昔通りに再建したのだそうだ。いや、まだ町の中心部は再建中だ。

 もし京都が爆撃で潰されていたら、はたして昔通りに再建されただろうか、彼らの執念には恐れ入る。

 この宮殿が今年のエルベ川の氾濫で水に浸かった。
私が足を冷やした池も浸かっていたのをテレビで見た。

でも彼らのことだ、これくらいすぐに修復するだろう。

 

 2.6 マイセン

 マイセンは陶器で有名であるが、エルベ川からのアルブレヒツブルク城の眺めも素晴らしい。
 しかしやはり城より陶器である。 

陶器工場はエルベ川を渡ってしばらくの所にあり、工場の横に見学者用のコースがある。
 
入場すると日本人にはイヤホーンを貸してくれる。だから誰が日本人かすぐにわかる。

 作業の実演があり小さな部屋ごとに型作りから絵付けへと進んで行く。
何工程もかけてすばらしい陶器が生まれる。売店で販売しているが、素晴らしい出来なので高価なのはわかるが、それにしても高価である。

 我家の近くに小さな喫茶店がある。客6〜7人で満員である。
 そこはコーヒー10種類、紅茶も10種類ぐらいあり味が良いので時々飲みに行くのだが、カップが素晴らしい。

 先日マイセンに言ってきてと話をしたら、そのカップはマイセンですよと言われた。そして隣のカップはローゼンタールですとも。

 ローゼンタールは白いとばかり思っていたがこんなに綺麗な柄物もあるのですか、とか言う話になった。

 それにしてもコーヒー一杯たったの380円でマイセンの一客3万円もするカップを使う店はそうざらにない。

 

 2.7 ハンブルグ

 自由港ハンブルグと昔習った記憶がある。そこで、ここは海に面しているものと思っていた。しかし海から30km以上も逆登ったエルベ川の流域にあった。

その時、私は港巡りの小さな遊覧船の客だった。

港は川とは思えないほど大きく、網の目の様に張りめぐされた運河の一つをゆっくりと進んでいた。

 目の前にはレンガ造りの倉庫が建ち並んでいる。ここも今や本来の目的に使われず映画館やショッピングセンターなどに変わりつつあった。日本と同じだと思いつつビールを飲みながら快適なクルーズを楽しんでいた。

 その時、突然空が曇り大粒の雨が降り出してきた。雷も暴れ出し船は横殴りの強い風に煽られた。

 港は暗雲立ち籠め嵐の様相を示し、そして小さな船は一段と揺れを増し前後左右にシーソーの如く暴れ出した。

 私を含めて4人の乗客はお互いに顔を見合わせた。もう座ってはおられない。柱に捕まり体のバランスをとる。

 今、エルベの本流を横切っているのだとドイツ人の友人が言った。

大きな波が船首で砕ける。横波が窓ガラスを打つ。
すきまから水が飛び散り体にかかる。

 船が横倒しになるかも知れない、沈むかも知れない。

 我エルベに死す。本当にそう思った。救命胴着の在処をそれとなく確認した。

 やがて本流を渡り終え大きな船が停泊している桟橋を巡るが、揺れは治まったものの雨は益々強さを増し、テントから洩れる雨水を避けるのに精一杯だ。

 このドックは世界一大きいとか説明があるが、聞くどころではない.

しかし後方に附いて来る同じ小さな観光船を見つけた時、「赤信号皆で渡れば恐くない」の心境か不安は解消して、スリルを楽しめるようになった。

素晴らしいエルベの試練であった。


3. チェコ

 3.1 モルダウ川

チェコの首都プラハを流れているモルダウ川。

スメタナの交響詩「我が祖国」で短調で始まるもの悲しいメロディーはチェコの悲しい歴史を感じさせる。そして長調へと転調して明るい未来を予告させ、再び短調に戻ってプラハの深い息吹を感じさせる荘厳な調べを奏でる。

 モルダウとはドイツ語表現で、地元ではブルタバ川と呼ぶ。しかしやはり日本人にとってはモルダウ川である。

 チェコ、ついこの前まではチェコスロバキアと言っていた。しかしそれぞれ独立してチェコとスロバキアに分かれて首都はプラハとブラティスラバである。

 チェコは日本人にとってあまり馴染みのない国ではなかろうか?

  私もフィンランドのサウナで(混浴である)隣の女性に何処から来たのか尋ねたら、チェコリパブリックから、との返事で始めてチェコスロバキアではないのだと思った程度である。

 

 3.2 プラハ

ドレスデンから国際列車でエルベ川に沿って3時間、川が蛇の様に曲がりくねるとプラハに着く。
 いつのまにかエルベ川からモルダウ川に変わっているのであるが、名前が変わるのではなくて、途中でモルダウがエルベに合流し列車はモルダウに沿って走っているらしい。

モルダウはプラハの真中を流れ西にはプラハ城、東側には旧市街がある。

 その旧市街には、市庁舎のからくり時計があったり、旧ユダヤ人地区、チェコの小説家カフカが通った喫茶店があったりするが、やはり興味があるのは黒ビールの店ウ・フレクである。

 狭い路地にあるこの店は真っ黒とも思える柱が年代を語っている。

名物のアヒルの料理を頬張っていたら団体客が入って来た。早速ウエイターは黒ビールのジョッキを両手いっぱい、15個は持っているだろうか、を配り始める.

 やがて酔いが回ると共にアコーデオンに合わせて大合唱が始まる。
ドイツからの観光客らしくドイツの歌だ。

この連中はこの川を見てブルタバではなく、やはりモルダウと呼んでいるのだろうか。

 

 3.3 カレル橋

 モルダウに掛かるカレル橋は、欄干に京都の三条大橋の擬宝珠の様に賢者の像が並んでいる。
 像は人体よりかなり大きく、総数30以上はあるので圧倒される。

 ほとんどの像は真っ黒に汚れているが中には触ると幸せが来るとかで、そこだけ手でピカピカに磨き上げられたものもある。どこかのお寺の牛と同じだ。

 ここはプラハ城への正門となり、両側の像と合まって橋の上からプラハ城を見る景観は素晴らしい。
そこで多くの観光客が通るので土産用の絵やグッズを売っている露天が並んでいる。

 橋の下のモルダウ、いや、ブルタバ川は幅が広く所々に堰があるので流れはゆったりしている。

 観光船だろうかレストラン船であろうか桟橋に停泊している。手漕ぎのボートが水すましの様にすいすいでもないが、ちょろちょろ動いている。

 岸辺のベンチでは日向ぼっこをしながら川を眺めている人もいる。そして水鳥が優雅に泳いでいる。ここは市民の憩の場所だ。

ボヘミヤの森に囲まれたチェコ。モルダウの恵みを受けたプラハ。

ボヘミアンガラスのワイングラスを手にプラハを離れて僅か1カ月少しでプラハはモルダウの激流に飲み込まれた。あの旧市街やウ・フレクも水没したと聞く。復旧が不可能な建物がたくさんあると報じていた。

 数百年に一度の洪水と言うかもしれない。しかし神は時々酷いことをする。

 

 

4. オーストリア

 

 4.1 青きドナウ

青きドナウ。
ヨハンシュトラウスのこの曲はあまりにも有名であろう。

 私は若い頃マンドリンに凝っていた。

その時この曲をマンドリンオーケストラ用に編曲しようと何度も聞いた。そしてオーケストラの楽譜をマンドリンの各パートに割り振る。

 ここは1stマンドリンで、ここはマンドラでそしてここはギターでと言う具合である。
そして又何度もレコードを聞く。だからいやという程頭に残っている曲である。

 この曲はご存知の様に3拍子すなわちワルツである。ブンチャッチャ、ブンチャッチャの3拍子である。所がこれをブンチャッチャ、ブンチャッチャと演奏しない。そんな簡単な3角形をしたようなワルツではない。

 ウインナーワルツと言ってウィーン独特のひと味違う演奏をする。言わば、ブンチャチャー、ブンチャチャーと歯切れはあるのだけれども流れるような弾き方をする。

 ブンチャッチャ、ブンチャッチャと言う単なる歯切れ良さとの違いが分かりますか? 是非演奏を聞いて下さい。

 

 4.2 ドナウは青い?

 ドナウは青くなかった、という話を聞いた。

 これ以来自分の目で確かめたいと思い続けていた。

 そしてついにウィーンに行く機会が出来た。

 ウィーンは音楽の都と知られているが、実は建築物もすごい。

 シュテハン寺院、オペラ座、市庁舎などは序の口で、かの有名な女帝マリア・テレジアのシェーンブルン宮殿などいくつもの宮殿がある。

 ほとんどヨーロッパを支配したハプスブルグ家の、オーストリア帝国の本拠だったので当然といえば当然である。しかしこんなに古い建物だけでなく、新しい時代で有名な建築家がいる。

 フンデルト・ワグナーの作品は幾つかある。
カラフルなもの、歪んだ建物など、色々あるそうだが私は見ていない。彼は日本のゴミ焼却場(大阪)もデザインしているそうだ.

 また、オットー・ワグナーも有名で、地下鉄の旧カールスプラッツ駅を見た。
蒲鉾型の建物は金色に輝いていた。

アールヌーボーを思い切り新しくしたような、古くて新しい豪華なレストランのような駅舎である。今は使われていないが、昔はこの瀟洒な建物から地下鉄に乗っていたのだろう。

 その地下鉄に乗って国連都市に向かうとやがて地上に出てドナウ川を渡る。長い鉄橋で横に歩道がある。ちょうど鉄橋の真中辺りに駅がある。

 この駅で降りるとドナウの真上のように思うが実は中洲の上で、歩道をかなり歩かないと水の上には出ない。

 それでドナウは青かったか?。

 水の色は青くなかった。土色に近かった。
 それでは青いというのは嘘か?。

 やがて川面から上流に目を移した時、空を写して朗々と流れる青きドナウを見た。ドナウは青かった。

 

 4.3 ザルツァハ川

 この川の名前を聞いても知っている人は少ないだろう。

 ではザルツブルグはどうだろう。多分音楽好きなら知らない人はいないだろう。さらにサウンドオブミュージックの舞台と言えば近親感が増すのではなかろうか。

 ミラベル宮殿の中を私はぐるぐる回っていた。今夜此処であるコンサートのチケット売場を探しているのだ。
 庭には赤い花が咲いた花壇があり、雨の中をあちこちで庭師が手入れをしている。

 チケット売場が見つからないので何度もこの広い庭園を回った。守衛に聞いても英語は通じない。
建物を指さすので、宮殿に入るとそこは図書館だった。

別のドアを入ると学校の職員室のような部屋がずーっと続いているだけで追い出されてしまった。

コンサートをする部屋は案内があってすぐ分かるのであるが、チケット売場が分からない。

 困り果てている時に日本人の若い夫婦が声をかけて教えてくれた。それは庭園の横門の外にあった。

 ミラベル宮殿の裏にザルツァハ川が流れている。
 さほど広くない川であるが、この川を挟んでザルツブルグの旧市内があり、教会の尖塔やドームのような丸屋根の建物が見える。

 後ろの小山の上にはホーヘンザルツブルグ城がでんと構えている。そして路地には美しい看板の店がたくさん並び、モーツアルトの生家もある.

 ザルツブルグとは塩の城という意味だ.で、英語ではソルトバーグと発音するがつまらない名前になってしまう.

ウイーンは英語ではヴィエナ(Vienna)で全然違う名前だ.こちらは旅行するときに必要なので覚えておいた方がよい.

 夜のミラベル宮殿は、一段と風格が増し、豪華な飾りの一室でピアノソロをかぶりつきで聴いた.

 横のベルギーから来たという老人がプログラムを見せて、今どの曲を弾いたか分かるかと偉そうに試してきたのでバッハのこの曲だと答えた.

それぐらいは知っているのだ.

 そして後ろを振り返ると例の日本人夫婦も後ろの方で聴いていた.

 宮殿の横でザルツァッハ川が静かにピアノの音を楽しんでいたようだった.

 

 4.4 イン川

  オーストリアのチロル地方.その古都がインスブルックである.
 ここは2度も冬季オリンピックが開かれていることからも、スキーのメッカでもある.

 インスブルックという名前はイン川にかかる橋という意味だそうだ.ドイツ語で橋はブリュッケだからそうなるのだ.

 ここは後ろに大きな高い山が繋がり、イン川も結構急流である.

 王宮や黄金の小屋根と言われる金色の庇が付いた建物があり昔王様がそこから祭りを見物したとか、小さいけれど凱旋門があったりしてなかなか良い町である.

 イン橋からは切り立った山が間近に見える.あの山にはケーブルカーがあり登ってみたいなと思っていたら当たりが騒がしくなり大勢の観光客が来た.説明は日本語で日本人の団体だった.
 こんな所にまで団体ツアーがあるのかと思った.

 翌朝インスブルックの駅にいた。

 消防自動車のサイレンが鳴り響き沢山の消防自動車が来た。駅前で火事らしい。

 その時大きな声が聞こえた。「なんや、火事やと思たらボヤやわ。もう消えたみたい。」れっきとしたなにわのおばちゃんの声だ。

 ここは難波か!!。


4.5 ツィラータール川

インスブルックより少し東、ザルツブルグ寄りにツィラータールという所がある。

 タールは谷なのでツィラー谷なのだが狭苦しい谷ではなく、長野県の安曇野から白馬に行くような感じであるが、山がさほど高くなくもっと平地に近い。

 そこにツィラータール川があり、それに沿ってツィラータールバーンという軽便鉄道が谷の奥へと続いている。

 普通の列車以外に、一日2本の蒸気機関車が走る。観光客は観光バスで来て蒸気列車に乗り、バスは終点まで先回りしている。そして帰りの列車には違う観光客が乗る、というように観光路線としてもなかなかの経営戦術を立ててある。

 車窓からはチロルの牧歌的な景色が続く。

アニメであるスイスのハイジーの里のようなものだが、ツィラータールはチロルの渓谷の女王と称されており、もっと美しいとも言える。

 その終点近くに ツェム・アム・ツィラーという村がある。

ここのツィラータール川は両岸にきれいなチロル風の家が並んでいる。中にはレストランや喫茶店もあって川の横のテラスでコーヒーを飲みながら、語り合う観光客の姿が見える。

 ここでチーズケーキを頼んだら丼いっぱいぐらいありそうなクリームがついてきた。

 家々の窓辺に飾られた花、タンポポの草原を散歩する老夫婦が見える。時間をかけてゆっくりしたい村だ。

 

4.6 エッツタール川

 オーストリア国鉄のエッツタール駅から、オーバーグルグル(Obergurgl)という面白い地名行きのバスで20分ほどのところにエッツという昔の宿場町がある。

 バスは途中、谷を下り川を渡って小さな村に寄りながら行くのだが、川の水が白い。乳白色なのである。
 これは氷河のミルクと呼ばれ、岩に含まれるミネラルが溶け出しているからだそうだ。
 たしかにミルクが流れている気がした。

 このエッツタール川に沿ってしばらく走るとエッツであるが、乗客が私を指して運転手に、この日本人はエッツで降りるのだから止まってくれ、とか運転手がもっと向こうが町の真ん中なのでそこのバス停で降ろす、とか言っている.

 オーストリアはドイツ語圏内でこの辺の田舎だと全てドイツ語標記だけである.英語を話せない人も多い.

 そこで私がバスに乗るときドイツ語を話せないことを知って皆が心配して世話を焼いてくれているのだ.
 勿論先ほどの話もドイツ語でしているのだが、雰囲気で解る.

 エッツは家の壁に壁画があるので有名な町だ.

 オーストリアは所々の家や建物に壁画があるが、ここはすごい.宗教画的なものから、風景、鹿の顔などいろいろ美しく描かれている.
 町?村?もきれいでやはり観光客がいる.ホテルや民宿もたくさんある.

 チロルはスキーのメッカでもあるためにここにかぎらず、ツィラータールでもどこでも民宿が沢山ある.ちょうど白馬の様な感じか.

 民宿と言ってもスイス風の建物でぜひ一泊はしてみたいような建物ばかりだ.ましてエッツのそれは壁画がありチロルを楽しめる.

 帰途につくインスブルック空港で、日本人の初老の夫婦と出会った.お二人でエッツよりずっと山奥のオーバーグルグルで山歩きをしてきたそうだ.良い趣味のご夫婦だった.

☆ ちなみにツィラータール川 とエッツタール川はイン川に合流し、イン川はドナウ川に合流する。

 

 

5. ハンガリー

5.1 ブタペスト(ドナウ川)

 ドナウの旅人という小説があった。

 これはドラマ化されてテレビでも放映された。ドナウ川に沿って旅する男女の葛藤を描いた小説で、筋書きは兎も角ドナウを旅したいという気になる。

 ドナウ川はドイツのミュンヘンの近くを起点とし、オーストリアに入りウイーンを通ってスロバキアを流れる。そしてハンガリーを通った後、また多くの国を経て黒海に注ぐ。

 ハンガリーの首都ブダペストは、 ドナウ川を挟んで西側はブダ地区、東側はペスト地区で合わせてブダペストとなった。

 ここは面白い事に温泉が有名である。100近くも温泉があるというが、その中でも最高格なものが ドナウ川の袂にあるゲレルト温泉である。

 立派な石造りの古めかしいホテルの中にある。風呂のロビーには大きな彫刻が幾つもあり、まるで美術館の様だ。

 しかしハンガリー語なので男湯、女湯の区別がつかないのは困る。

 更衣室では白いエプロンみたいな前掛けとバスタオルを渡される。この前掛けをして風呂に入る。
 湯はぬるめだ。普通のタオルが無いので顔を洗った時前掛で拭いてしまった。褌で顔を拭いたようだった。

温泉の隣には王宮がある。ここからは ドナウ川が足元に見える。

 王宮を下ると真正面に鎖橋がある。橋の袂には大きなライオンの像がある。

橋は釣り橋のようなアーチが幾つもあり夜には電飾で飾られ100万ドルの夜景という。最近はあちこちで見られるが多分ここが世界始めてだったのだろうか。

歩いて鎖橋を渡ると下にドナウの水が流れている。

ひょっとしたらこの水は昨日ウイーンで出会った水ではなかろうか。

 

 

6. スイス

 

6.1 リマト川

チューリッヒはスイス屈指の都市である。英語ではズーリックと発音しミューニック(ミュンヘン)と同じで英米人と話すと味気がない。

 チューリッヒ湖は特急列車で1時間近くかかるほど大きく、東南の端はハイジーの里の近くである.
 そしてチューリッヒはこの湖の北の端にある町で、湖からリマト川が流れ出ている。

 ある日50年ぶりという大雪が降った。交通機関は混乱したようだがリマト川は化粧を増した。

 川に突き出した桟橋やたくさんのボートの上にも雪が積もり朝日にキラキラ輝いている。川は浅く奇麗な水で底まで見える。水鳥が思い思いに泳ぎ回っている

 川の両側にはたくさんの教会が玉葱型や尖った自慢の形の塔を並べている。

 その一つにシャガールが創ったステンドグラスで有名な教会がある。
 これらの教会の屋根も雪化粧でキラキラ輝いて、これが大都会かと思えるほどの優雅さを奏でている。

 そして、路地、チューリッヒの路地は結構曲がりくねり登り下りがある。そこに雪が積もり、でこぼこした石畳と合間って何とも言えない情緒を醸し出す。
 名も無い小さな時計店、アクセサリー店そして花屋、どれも雰囲気を出す小道具のように見える。
 夜ともなるとレストランの多い旧市街はコートの衿を立てて白い息を吐く人で埋まる。

 私もその一人となって、フォンジュの有名なレストランでワインがたっぷり入ったチーズフォンジュを頬張る。


6.2 バーデン

 チューリッヒから急行で20分、小さな町バーデンに着く。

 バーデンとは温泉の意味でドイツのバーデンバーデンは有名であるが、ここにも温泉がある。バーデンの駅はスイス鉄道の発祥の地でちょうど新橋にあたる。

 山の上に崩れた城跡がある。

 ここから眺めると家々のオレンジ色の瓦の合間にリマト川が見える。
 山を下り河辺に繋がる長い階段を降りる。

 下から女性が登ってくる。後ろに川、川岸には柳(の一種)並木、そして川に沿った石畳の道。おまけにガス灯風の外灯。写真に撮ればそのままカレンダーになりそうな風景だ。

 川は奇麗な水で流れも結構早い。柳並木の向うに屋根がついた橋が見える。橋を渡った所に昔は代官の屋敷があったとか。

 川岸の散歩道を歩き少し上がると温泉がある。
屋内と露天があり、屋内はプールである。露天はクローバーの様な形をしているがタイル張りでプールのようにも見えるが、白い湯気を立てている様はやはり温泉である。

 水着着用の混浴であるが更衣室も男女混合であった。もっとも着替えは小さな個室でするので問題はない。

2月に入浴したが翌日風邪をひいて熱を出した。

 

 6.3 アアレ川(ベルン)

 スイスの首都はジュネーブでもなくチューリッヒでもない。ベルンなのだ。

 ここはアアレ川が∩型に流れている。
 その∩型の真ん中を下から上に向かって、アーケードが続いている。

 アーケードというのは、プラスチックの屋根を付けた商店街の事ではない。

建物の1階部分が少し引っ込んでいて、歩道がちょうど庇の下になるようになっているので雨や雪に濡れずに買い物が出来るようになった石造りのビルである。

 日本でもたまにこの手のビルがあるが、一つのビルだけで、繋がってはない。ベルンはこの石造りの建物が約1kmほど続いているのである。

 そして道を防ぐように真ん中に大きな時計塔があり、その下を市電が通っている。

 また道の真ん中には所々に噴水があり中央には、騎士や女の人の像がある。これらが赤や緑に塗り分けられて目を引く。 

 この道は∩型の突き当たりでアアレ川を渡り山へと続く。
 アアレ川はかなり低いところにある。いわばベルンはアアレ川に囲まれた崖の上にある町のようだ。

 ベルンとはベアー、すなわち熊が町の名前で市の紋章も市電のマークも皆熊の絵が描いてある。ゴミ箱も熊が口を開けた形で口からゴミを入れる。

 スイスの家と言えば山小屋風のヒュッテを想像するだろう。ベルンの建物は石造りのビルであるが独特の雰囲気がある。

 時計塔の形といいこれが本当のスイス風と思った。

 

 6.4 ロイス川(ルツェルン)

 ルツェルンはスイスの宝石箱と称される。
この意味は小さな場所に綺麗な景色が詰め込まれているという意味であろう。

 ここにある大きな湖を私は今までルツェルン湖だと思っていた。しかしこの文を書くに当たり確認したらフィアヴァルトシュテッテル湖という長い名前だった。
 
この湖に山からロイス川が流れ込んでいるところに町がある。
少し上流では急流であるが、湖の傍はたっぷりとした水量でゆったりと流れている。

 ここに有名なカペル橋がかかっている。

 橋は川の上でZ型と言うほどでもないが角張って曲がっている。そして屋根があり真ん中に塔がある。
 特異な形をしているので有名なのも当然であろう。

 ところが残念ながら私が訪れたときは、煙草の火で火事になったとかで焼けて無くなっていた。

 しかしちょうど何かの祭りだったようで、川岸に赤や青の服を着て太鼓や笛を持った人達がいた。大きなぬいぐるみもいたようである。お陰で少し楽しめた。

 町の中にはワイン広場とかがあってスイス風の建物と共に土産物屋がひしめく。

 私もここで鳩時計を買った。鎖に錘が付いた昔ながらのやつである。10年ほど経った今でも、鳩がぽっぽぽっぽと時を告げている。
 
そしてカペル橋も再建された。

☆ リマト川もアアレ川も最後にはライン川に流れ込む.



7. フランス

 

7.1 セーヌ川

 パリと言えばセーヌ川かエッフェル塔かそれともルーブル美術館であろう。

 パリに3泊もしていてパリを見物していなかった。
 時間は空港に行くまでの半日しかない。

 そこでまずルーブル美術館を選び、その中でもモナリザとミロのビーナスに的を絞る。何というありふれた選択だろうか。
 ルーブルの入り口はガラスのピラミッドの下にある。そこであわててモナリザと反対側の入り口に入ってしまった。

 美術館の中を大回りして急ぎ足でモナリザに向かったが、途中で目に付く美しい美術品に目を奪われてなかなか進めない。建物自体も美術品だ。
 入り口を間違ったお陰で色々見ることができたが時間は無くなってきた。

 モナリザやミロのビーナスに心を奪われたが、それ以上とも思える作品が目白押しで惜しみながら美術館を後にする。
 
 この裏をセーヌ川が流れている。何とか見たい。
 美術館は大きく建物を回り込むのは結構しんどい。

 セーヌ川は想像通りの川だった。遠くにノートルダム寺院が見えた。

 ほんの数分でまた地下鉄に戻る。地下鉄の通路にバイオリン弾きがいた。

 パガニーニを奏でていた。ホームのベンチで電車を待つ間バイオリンの音に聴き入っていた。しかし思わず通路に戻りバイオリン弾きにフランを差し出した。

 バイオリン弾きは驚いたような顔で私を見た。そして深く何度も何度も礼をした。
 素晴らしい音楽を聴かせて貰って嬉しかったのはこちらだ。それぐらい上手な演奏だった。

 1時間後私はモンマルトルの丘の上にいた。芸術家がたむろし、画家が丘に登る階段を題材によく絵を描いている丘だ。

ここから遠くにエッフェル塔が小さく見えた。

しかしセーヌ川は見つけることが出来なかった。


 7.2 ソーヌ川(リヨン)

 パリリヨン駅からTGVデュプレックス2階建ての新幹線で南に向かう.

1等の2階席はテーブル付きでシェードの付いたランプもあり豪華である.
 乗るとすぐに食事の注文を取りに来る.

 ワインを片手にフランス料理を食べながら広い丘陵地帯を時速300Kmで走ると所々に農家がある.フランスは農業国であることがよく解る.

ブルターニュとワインで見たような地名が出だすとそろそろリヨンである.

 リヨンは絹織物で有名だそうだが、他に森鴎外や遠藤周作も住んでいたことがある.森鴎外の時代にはリヨンは里昴と書いた.

 旧の駅前からベルタール広場を左に曲がると、ソーヌ川に出る.結構流れが強い川で水は濁っている.
 そこにかかるナポレオン橋を渡るとケーブルカーの乗り場がある.

 このケーブルは山の岩盤にトンネルを掘って作ってあり走り出すとずっとトンネルである.5分ぐらいで頂上であるがこれも地下駅である.
 階段を上がって上に出ると目の前に立派な寺院が現れる.

 ノートルダム・ド・フルヴィエール大聖堂というこの寺院は高さもあり、中の礼拝堂も素晴らしい。

 またまた海外旅行に来てしまったことを懺悔しながら、地下室に降りた。

 何という驚き。地下にも上に負けじとばかり大きな礼拝堂があるではないか。確かに天井の高さはまあまあだがそれでもかなり高い天井の大きな礼拝堂が地下にあった。

寺院の山からはソーヌ川を前景にリヨンの町が一望できる。

明治の時代に森鴎外はこんな遠くまで来ていたのかと感傷深げに山を下った。

 

 

8. フィンランド

 8.1 タンメルコスギ川(タンペレ)

 森と湖の国フィンランド。
 タンペレは首都ヘルシンキから特急で3時間ほどのところにあるフィンランド2番目の都市である。
2番目と言っても歩いて回れるほどの町である。

 日本人にとって有名なのは、ここがムーミンの古里なのである。

ムーミンはフィンランド人が創った物語である。しかし日本でアニメ化されてヒットした。だから日本人の作品と思っている人も多いだろう。

 ここにムーミン博物館がありヤンソン女史が描いたムーミンの原画が飾られているが、やはり日本人の観光客が多い。

 タンペレはタンメルコスギ川に出来た発電所の周りに開けた町である。
その後ロシアの侵略でロシア風の建物も多く独特の型をしていて、エキゾチックに思える。

 タンメルコスギ川は湖と湖をつないでいて水位の差がある。それを利用して可愛いダムを造り水力発電をしている。
 あまり大きくない川で片側に赤い煉瓦建ての発電所がある。反対側は堤防で、タンポポの草むらにごろんと昼寝をしてみた。

 すぐ隣はやはり赤い煉瓦建てのブッティクがあり向かいの発電所と良い釣合を保っている。
 民俗衣装を並べた店内を通り抜けると川に突き出したテラスがある。下をたっぷりとした水量の川が流れていて少し恐い。
 ここでサイダーと書いてあるものを頼んだらビールだった。

 

8.2 サウナ

 タンメルコスギ川から繋がる湖の中の小さな島でバーベキューパーティーがあった。
 ある学会のエキディビジョンである。
 そして20分も並んで長い串に刺さったバーベキューをもらった。それには肉は無く赤ピーマン、黄ピーマンそして緑のピーマンだけだった。

 肉のないバーベキューなんてと、高い会費を払っていたので怒っていた。だがサウナに入れるという情報が入っていたので、まだ期待が残っていた。

 フィンランドと言えばサウナである。しかしホテルのサウナは日本のサウナと同じで意味が無い。

 湖畔の小屋のサウナで時々湖に飛び込むという本物に入りたいと思って友人と探していたのである。

 それは湖畔の小屋のサウナだった。本物だった。

 早速友人と更衣室に入った.
 水着は持っていたが皆すっぽんぽんだったのでタオルだけ持って入った.

 サウナは少し薄暗く、雛壇のようになっていて前にサウナストーンがある.水をかけると、一瞬にして蒸気に変わる.これは珍しいことではない.

 しかし驚いたのはこのサウナは混浴だった.

 反対側の入り口が女子更衣室で中は同じ.水着を着た人もいるがすっぽんぽんの女の人もたくさんいる.
 それが体がすれるぐらいの間隔で雛壇に並んでいる.

しかし、同じ学会で来ている気安さからか、色々な国の男女がわいわいと楽しそうに喋っている.

 白樺の葉で体をたたくのが本場のサウナである.お互いにたたき合いをしたりしていたら、突然髭の男が前でみんなの方を向いて、この葉をまるで神主さんが榊を振るように振りながら踊り出した.

 もちろんスッポンポンで前も隠さない.皆大喜びで笑いの大合唱となった.


 サウナの外は6月といえどもコートを着なければならないぐらい寒い.

その中をサウナから飛び出して湖に飛び込む猛者もいた.
サウナで裸は恥ずかしくないが、服を着た人の前で裸は恥ずかしい.

 服を着た大勢の人の前をすっぽんぽんで湖に飛び込んで行ったのは、唯一私の発表に質問をしたイギリス人だった.


 8.3 ハメリンナ

 ヘルシンキとタンペレの間にある町ハメリンナには川は無い。しかし湖が曲がりくねり川のように続いている。
 事実ここからタンペレまで8時間かけて航行するというシルバーラインという船があるぐらい長い、川のような湖である。

 シルバーラインの船着き場の近くの湖畔にハメ城がある。

 大きな石積みでバイキング的とも思えるダイナミックな城だ。全体の形は質素だが均整が取れ、湖に写る姿は素晴らしい。

 その横は白樺がある大きな公園で、水辺では母親が洗濯をしながら子供を遊ばせている。それにしても何とも雄大な景色である。こんな所で育った子供はどんなスケールに育つのだろうと考え込んだ。

 ここに来たのはフィンランドの生んだ大作曲家シベリウスの生家を見るためだ。
橋を渡り地図を片手に町を歩くが、見つからない。

前から来た白いネッカチーフを被ったおばさんに尋ねたら、フィン語でわからない。
指差す方向に歩き角を曲がったとたんにおばさんが追いかけてきた。心配で見ていたのである。
 結局シベリウスの家の玄関まで連れていってくれた。

 シベリウスの生家の若い受付嬢は勿論英語を話す。
 小さな木造の家で家具など昔のまま置いてあった。

 ピアノのあるリビングのイスに座っていると、受付嬢が来て何か音楽をかけましょうかと尋ねた。
 勿論、シベリウスのフィンランディアである。

 では、とCDを用意し出した。なかなか音が出ないので尋ねたら、CDプレヤーが暖まっていないので鳴らない。もう少し待ってくれとのこと。

 真空管ではあるまいし故障だろうと言ったら、いや待てば鳴ると言う。

 その間、シベリウスの生まれた頃の写真集を見た。

 ハメリンナは雪の荒野で見渡す限り家はない。所々にほんの数軒小さな家があるだけだ。

 フィンランディアは壮大なゆったりと、もの静かな出だしで始まり、曲の進行と共に地響きがするほど物凄くスケールの大きなメロディーを奏でる。
 私の家で聞くとあわててボリュームを落としに行かなければならないのであまり好きな曲ではなかった。

 しかしこの写真を見、先ほどのハメ城の雄大な景色を見たら、この曲の、そしてシベリウスの表現したいことが嫌と言うほど分かった。

 日本という小さな国では生まれ得ない音楽だと思った。

 ところでまだCDは鳴らなかった。済みません故障ですと受付嬢が言いに来た。



 第2部 ヨーロッパ編 完

  これは、1993年頃から2002年頃までにした旅行からのエッセーです。

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