何故、走りの良さに拘るのか

コラムに戻る

Update 2007/7/16

走りの良さ。 この意味は人によって違うだろう。
私の言う走りのよさは重厚感である。
実物のあの重い機関車が走り出す感じである。機関車だけではない電車も十分に重々しい。

物を縮尺したときに、実感的に感じないことがある。それはスケール効果と言って、大きさは縮小したけれど、自然の水などは縮小されない。例えば船の模型では、いくら精密に作っても水に浮かべれば、すぐに模型とわかる。それは水の動きが縮小されていないからであり、時間軸の感じ方も違うからだそうだ。
 
 幸い、鉄道模型は水ではなく空気中なので、そんな影響は無いようだがビデオで撮れば本物と全然違う。ちゃかちゃか走り軽々しい。映画では高速撮影してゆっくり再生して実感的に見せている。すなわちスローモーション撮影である。
 スローモーションで再生することで重厚感が出るようである。

と前置きが長くなったが、スローでスムーズに走れば重厚感が感じられ、実感的に見える。
そこで私はスロー性能を第一に考えている。

これは、小さなレイアウトでは特に大切なことで、目の前に機関車があり、目の前で走り出すので、スロー性能への基準は厳しい。
 これが、広い場所での運転や、フロアでの運転では、ずっと基準が甘くなる。そういう場所ではゆっくり走り出すことを余りしないのと、ゆっくり走り出さなくても気にならない。

次に、レイアウトではほとんど駅がある。
 鉄道の魅力は駅である。映画でも出会い、別れなど駅というものが鉄道の味を出させている。
 駅に列車が入ってくる、そしてブレーキの音とともにゆっくり止まる。そして人々の乗り降りがあり、やがて列車はゆっくりと走り出す。

 この雰囲気である。ゆっくり走り出さなければダメなのである。突然ダッシュ、それでは雰囲気が出ない。突然ストップもそうだ。
 だからレイアウトでは、特にスロー性能が大切なのである。

 模型に於いて、高速で走らせることは難しくない。しかし低速で走らせることは技術的に難しい。
 しかも小型レイアウトではカーブ半径も小さく、抵抗も大きい。
 ゆっくり走れば、僅かな集電不良でも止まってしまう。

 駅に入ってくる、速度が遅くなる、だんだん遅くなる。もっと遅くなる。そこで線路が僅かでも汚れているか、車輪が汚れていると集電不良でストップする。
 一見、スムーズに止まったように思われても、集電不良で止まると、いざ発車しようとしても集電不良を起こしているので、動かないのである。機関車をこつきに行かなければならない。 これで実感性はゼロになる。

 あまりスローで走らせない人は、駅でも急減速で止める。するとモーターにかかる電圧が下がって止まっただけだから、動き出しも問題なく動く。 フロア運転や景色の無い場所での運転はとかくこのようであり、。集電不良は起こしにくい。

 しかし、景色があるところでの運転はおのずと本物の列車のような動きを再現したいものである。そこで前記のような集電不良も起こしやすい。


理屈をこねたけれど、飾って実感的というのではなく、走らせて実感的にというのは違った意味で、模型工作の技術がいる。

 こういう意味では、走りの文化のヨーロッパ製はかなり満点に近い車輌が多い。 そこで、日本型もそれを見習って色々改造している。

基本的に、集電、ギヤ比、モーター、フライホイール、重量バランス、カプラーなどである。

 想像して欲しい、本物の蒸気機関車が走り出すシーンを。スチームの音と共にじわーと車輪が回りだす。最初の一回転に数十秒もかかるのである。このゆっくりさで回転むらが無く走り出せば、模型でも重厚感が出る。

ということで、車輌の欄に色々な改造を載せています。でもまだまだ工作力不足でとても理想の走りまで得られないのあります。

コラムに戻る