静と動

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upload 2010/1/16

静と動


レイアウトは立体的な絵画である、と自分でも言ったことがあるけれど、そうだろうか。

実は絵画は止まっている。それに対してレイアウト自体は止まっているのだが列車は動いている。そうだ鉄道模型には静だけでは無く動と言う部分があるのだ。

勿論、車両の模型にも静と動があって、いやいや、鉄道模型は必ず動くようにしているのでおっしゃるご仁もいらっしゃるようだが、私の言う動は、ちょびっと動けばよいのではなく、スムーズな走りで運転を楽しめなければ動とまでは言わない。

さて、鉄道模型の発展は鉄道模型趣味誌など雑誌の功績が大きい。そこに自分の作品の写真が大きく載ればこんなに嬉しいことは無い。

 ところが写真と言うものは静の世界である。だからその作品の走りが如何に良いかなどは、写真からは読み取れない。ただ製作記事の中で、集電機構や伝導機構がどのように作られているのかを見るだけで推測しなければならない。 

これが雑誌と言うメディアのある意味での限界であり、雑誌社がどうのこうのと言う訳ではない。 



ただ、このような世界で発展したために、模型を肉眼で見るよりも繊細に観察でき、少しでも実物と異なるような作りだとその模型の価値は低いとみなされてしまう。

例えば機関車のステップにしても、実物通りの形で、実物通りに取り付ける。だが、実際に走らせると、実物とはかけ離れた急カーブを走るために、前輪や従台車がステップに当たって脱線する。そこで模型としての構造が必要である。すると実物とは異なっているので写真ではおもちゃっぽく感じる。

だから、どうしても動を主体とすると、実感味が薄れる事が多く、実感的にこだわることで直線で行ったり来たりしかできない車両を作る人もいると聞く。



一方、私は静より動、スタティックよりダイナミックの世界を好む。

そのために外観や内装を犠牲にしても走るためのメカに力を入れているのだが、やはり形にも気を使わなければならないので、兼ね合いが難しい。

あらためて静と動、これは必ずしも、時間的な移動を指すだけでは無い。音や光がある。音が鳴る、照明が点滅するなども動なのである。

そこでDCCというものが強力な助っ人として現れた。

そうだ、音を出せるのだ。蒸気機関車のブラストの音は素晴らしいものだが、たとえ汽笛だけでも良い。電車ならタイフォンの音だけでも良い。

これを好きな時に鳴らせる。これは面白い。まさに運転が楽しくなる。そして、音だけでは無くて走りもスムーズになる利点もあり、さらに複数の車両を同時に動かせることが出来るので、後追い運転も実に楽しい。また駅で停車していても室内灯が点灯していて、夜景では駅のホームに映る窓越しの光が実に情緒をかもす。

一方レイアウトではどうか、線路と景色があるだけでは、レイアウトとしては静になるだろう。
いわゆる飾って楽しむジオラマだ。

しかしそこで車両をがんがん走らせるとなると、話が変わってくる。 まず走らせるのに必要なスペースの点から実物には無いような急カーブを使ったり、線路のメンテナンスのために周りの造形物を簡略化してレイアウトを作る。 

こうやって、運転しやすいレイアウトで動の世界に入り込むわけだが、それだけでは物足りない。 

そうだ、現実の世界ではありとあらゆるものが動いている。

信号や踏切はもちろん自動車や人間も動いている。そこでカーシステムを取り入れ人も動くようにしたりして、いわゆるギミックが入り込んでくる。

 人によってはこれを嫌がるかもしれないが、静と動の間のどこまでを許容するかの線引だけの問題だ。

ということで、写真で見た時には車両にせよレイアウトにせよ静を主体とした作品はとても実感的に見える。でも動を主体とした作品は写真ではあまり実感的でないかもしれない。

だから、動の世界を表現しようとすると、ビデオとかの動画が必要になる。

動画と言えば、YouTubeのような動画サイトがあって、そこで鉄道模型が走るのを見られる。ただ、私の感覚から言うと、単に走るものを写してYouTubeに載せたというものが多い。その結果、撮影技術が良くなく、映像も良くなく、さらに何ら真剣に動く姿の良さをアピールするように写したものはほとんど皆無と言える。

だから、動の世界を表現しているようでも、静の世界でいい加減な写真で作品を見せるように、何の感動も無い。

基本的には、きっちりと撮影計画をして編集もして動の世界を表現しなければ、たとえ画像が動いていても動くことについての感動は受けない。

というようなことも含めてどうも、動く事、しかも車両以外も色々動いたりする事は、子供っぽい遊びのように感じられているきらいがある。

だから、DCCのように音が出るものも敬遠するような人までいる。

でも実はギミックを含めて実感的に動かすためには、甚大な努力や工作力が必要なのだが、どうもこのことはあまり理解されていないようである。

確かに、車両でもジオラマでも精密に作ったものは素晴らしい。でも、多少写真で実感味が少なくても、動いているところを見ればその方が実感的だと感じることもある。

それから遊びとしては絶対に動く方が楽しい。ただ、走らせ方にも方法があって、自分が運転して楽しむ人や、走っているのを見て楽しむ人もいる。

と言っても走らせることが楽しいことに同調しない人も多いだろう。でも、そういう人は走らせ方を知らないのかもしれない。

走らせ方で楽しさは変わるので、運転の仕方というのも鉄道模型のテクニックの一つであると思っている。

言いたいことはまだ、山ほどあるのだけれど、だんだん話が横にずれていくような感じになったので、ここまでにしておきたい。

最後に、人それぞれ好みが違うし、私も動が好きだと言っても、気分次第で静が好きなこともあるのだ。

 

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