餘部鉄橋を歩いた
餘部駅の香住よりに鎧駅がある。そこに降りたったのは昭和42年7月だった。
就職して初めてのボーナスで山陽、山陰を回っていた。 安い給料ではユースホステルに泊まるのがやっとで、その日は餘部ユースホステルに泊まるつもりで鎧駅に降りたのだった。なぜ餘部駅ではないのか、というと、ほとんど止まる列車がなかったからだ。
と言うわけで鎧駅にいるのだけれど、ユースホステルまでは山を越えてゆかなくてはならない。
駅員に道を訪ねた。すると帰ってきた答えが、線路を通って行きなさいという信じられない言葉だった。もちろん今と違う、大昔の話だ。地元の人は皆そうしていたのだろう。
歩き出すとトンネルがある。トンネルの中で列車が来たらどうしよう。でも駅員が言ったのだから、しばらくは来ないのだろう、と、トンネルを歩き出す。
暗いよ、 本当に真っ暗だよ、懐中電灯も無いので犬走りは歩けない。そんなことをしたら側溝にはまってしまう。仕方が無いので線路の中を歩く。
トンネル歩きを経験したかったら、宝塚の福知山線の廃線後を歩くと良い。ハイキングコースになっていて、皆懐中電灯を持って歩いている。でもJRは歩いて欲しくないようなので禁止になったかもしれない。 閑話休題、話を元に戻して、
トンネルの出口。歩いて写したのです。 ここを出るとまたトンネルがある。
今度のトンネルは外が見える。
海が見える、きれいな景色だ。だけどゆっくり鑑賞は出来ない。列車が来たらえらいことだという思いが常に頭の中にある。小走りでここを通り過ぎる。
そしてやっと最後のトンネルの出口に近づいた。すると、何か音がする。そうだ列車の音だ。
走るようにしてトンネルを駈け出る。すると後ろからDF50の姿が迫って来た。線路際によるが、あまり線路から離れられない。柵があるのだ。柵に寄りかかりながらカメラを機関車に向ける。
これが、その時の写真である。良く見るとわかるだろう。鉄橋の柵なのです。そう、この時私は餘部鉄橋の上にいたのだ。列車が通り過ぎて下を見ると高い、恐ろしいぐらい高い。それなのに柵を乗り出すほど体を柵に寄せていたのだ。
かくして、餘部鉄橋を渡り終え無事ユースホステルにたどり着くことができたのでした。
翌日は鉄橋の撮影となったわけです。
山側から。 キハ58の急行 この鉄橋を歩いて渡ったのでした。 |
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海側から。 今は鉄橋の下に、観光スポットが出来ている。 |
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「やくも」か「まつかぜ」 こんなに長い列車は今は見られない。 現在はこれより高い位置に、撮影スポットがある。 |
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この写真も気に入ってます。 | |
これは補機ですね。 ということは前と後ろに蒸気機関車を繋いでいたのだ。 |
ここからはおまけです。 餘部駅に進入する特急やくも |
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車窓から | |
車窓から 蒸気機関車がごろごろしていた。 どこか不明。 |
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和田山みたいな気がしているのだけれど。 | |
浜田付近の海岸。 車窓から見てきれいなので引き返して、ここで泳いだ。すると後ろに蒸気機関車の牽く貨物が見えた。 |
撮影 ミランダF レンズ:オートミランダ50mm、ソリゴール135mm
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