かぎろいの丘万葉公園

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upload 20016/12/2



「かぎろひ」

近鉄電車の名前です。

この電車です。
めったに見ない。 私も毎日近鉄電車を見るけれども、見たのはこれ一回きりです。

この電車は団体専用電車で、定期運行はしていないのでほとんど見かけません。

それは兎も角「かぎろひ」と言う名前、変な名前だと思いませんか?

この名前は、万葉集までさかのぼり、柿本人麻呂が詠んだ歌、

「ひむがしの野にかぎろいのたつ見えてかへりみれば月かたぶきぬ

の「かぎろひ」から名付けたようです。
「かぎろひ」は「かぎろい」と読むので両方の書き方があります。

でもかぎろひって何?

奈良県大宇陀市の「阿騎野」と言う所に「かぎろいの丘万葉公園」があります。

近鉄、大阪線榛原駅、ここから行きます。
駅の中にはこんな絵が、 

これが阿騎野です。万葉の時代を描いた絵です。

ここからバスで大牟田高校前で降りて徒歩5分ぐらいでしょうか、かぎろいの丘万葉公園に着きましたが入り口が少しわかりにくい。 
ちょっとした丘で、坂を上がると

広くなった所があります。 手前は吾妻屋。


石碑に柿本人麻呂の先ほどの歌が刻まれています。

ここから東を見ると

向こうの山の空に、かぎろひが立つのが見えたのでしょう。
この辺り全体が阿騎野です。 建物が見える辺りに阿騎野・人麻呂公園があります。


あそこに見える絵は

先ほど駅にあった真ん中の絵です。

阿騎野は女は薬草狩り、男は鹿狩りがなされた場所で、その様を描いた絵です。 
とても、和やかで飛鳥時代?の風景です。

柿本人麻呂はこういう歌も詠んでいて

「阿騎の野に 宿る旅人 打ち靡き 
        眠も寝らめやも 古思ふに  」


   阿騎野に夜を明かす旅人は、おしなべて寝いることなどできようか。
   これほど昔のことが思われるものを。

柿本人麻呂は主人である軽皇子に付き添って、狩のためにここに来て野営していました。

その軽皇子とは、草壁皇子の子供で、父である草壁皇子は若くして亡くなっていました。
その草壁皇子もここで狩りをしたことがあるので、焚き火を見ながら軽皇子が父を偲んでいる様子を読んだのでしょう。





こちらは、阿騎野・人麻呂公園です。
柿本人麻呂の像です。
後の丘がかぎろいの丘です。
昔は家など一軒もなくて、広い野原だったのでしょう。 そこで先ほどの絵のように薬草狩りも行われていたのでしょう。



ここに、こんな物もありました。 竪穴式住居です。 
当時の日本人はこんな所に住んでいたのです。

聞くところによると、平安初期までこういう所に住んでいたとの事。 
貴族は豪華な屋敷でしょうが一般庶民はそうだったんだ。
現代に生まれていて良かった。


さて、歩いて5分ほどで、大宇陀の街、ここには昔の街並みが残っています。

虫籠窓の家々が並んでいます。


その中に、森野薬草園と書いた所がありました。
この辺りは薬草、薬が有名な所です。 ここに入れば薬草が見られたはずですが
この横の店から入るようですが、この時には良く解らずに通り越してしまった。
残念です。


ここで、珍しい卵の白身の饅頭を買って


ここで、珍しい肉どんぶり定食を食べて

この街並み目当てに観光客が来るので、食べ物屋さんは何件かある。



作り酒屋も何件かありました。



さて、「かぎろひ」とは何か?

「厳冬のよく晴れた夜明け、日の出1時間ほど前に現れる最初の陽光」
という説があります。

かぎろひの写真を撮りたい方はここに行って下さい。

柿本人麻呂が先ほどの歌を詠まれたとされる日12月15日に、かぎろひ万葉公園に朝の4時集合。

焚き火を囲んで「かぎろひ」を待つようです。



おわり

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