音楽のページ3
ピアノの歴史です
2025年3月記述
菰野ピアノ歴史舘
三重県 湯ノ山温泉の近くに、菰野ピアノ歴史館があります。
昔からのピアノがたくさん置いてあるという。
この建物です。 高齢者の学校の旅行で行きました。
中に入るとピアノがたくさん置いてあります。
一番奥はチェンバロです。
館長の説明が始まりました。
ピアノの前身はチェンバロでした。
チェンバロは弦を爪で引っかけて音を出していたので、澄んだ音がしますが、強弱がつけられませんでした。
チェンバロについては
私のホームページの勉強のページの音楽 その1 に書いているの見てください。
それから進歩してピアノができて、音の強弱がつけられるようになりました。 ピアノのことを昔はピアノフォルテと言っていました。 すなわち小さい音大きい音という意味です。
ピアノはチェンバロと違って弦を爪で引っかけないでハンマーというもので叩いて音を出します。
ここまでは知っていたのですが、
館長が、チェンバロの後すぐにピアノができたのではありません。 いろいろな国でいろいろな方法を試行錯誤して50年ほどかかって今の形のピアノになったのです。
これは知らなかった、チェンバロからピアノになったと単純に思っていたけれど、50年もかかって、その間には血の出るような苦労があったんですね。
今のピアノの弦はピアノ線ですが、昔はピアノ線はなかった。 普通の柔らかい鉄だった。 そういえばそうですね。
ピアノ本体の構造も木から鉄に変わってきています。
産業革命があって、いろいろな素材や技術が生まれてピアノも進化してきたんです。 なるほど。
モーツアルトがチェンバロからピアノへの移行期の人だそうで、はじめはチェンバロの曲を作曲していたけれど、ピアノの曲を作曲したり、まだピアノが気に入らないので、またチェンバロの曲を書いたりとかしてだんだんピアノの曲が多くなったとか。
弦をたたく構造です。 これはウイーン式です、
これは何という形か忘れたけれど、鍵盤を押したらハンマーが弦をたたく機構が次々に考えられていました。
そして、弦をたたく部分、ハンマーの材質も今はフェルトですが、昔はフェルトがないので革を張ったりいろいろな材質が試されていたようです。
私はピアノが弾けません。 全く弾けないしピアノのことはよく知らないのですが、こうやっていろいろの機構が考えれて現在に至っているという事は理解できます。 でも、よく知らないので説明できません。
このハンマーの機構は下から上に向かって弦をたたく方法や、逆に上から下に向かってたたく方法など、いろいろあって、このピアノ舘には、そういういろいろな機構のピアノが約40台あるそうです。
所蔵してあるピアノのリストの一部です。
メーカーや時代や特徴が書いてあります。
左端の星印があるものは、貴重でしかも壊れやすいので触るのに注意してくださいとのことです。 ということは触ってもよいのです。 これは驚きです。 歴史舘で所蔵品をさわっても良いというところは初めてです。
これは、そっと音を出して、機構によって鍵盤のタッチが違ったり音色が違うことを実感してくださいという意味です。 すばらしい歴史館です。
この表で、有名なステインウエイはヨーロッパのメーカーだと思っていたのですが、ハンブルグです。 そして、ニューヨークにもステインウエイがあるのにびっくりしました。
ニューヨークのステインウエイはジャズを弾くために音域が広く、明るい音がするという、ですからピアノもほかの楽器もそうですが、その地域に合った発達の仕方をしているのです。
実はこの表の中に、ベーゼンドルファーが無いことに気がついたので、後で館長に何故なのか聞いたのです。 すると今はここにはないけれど、ベーゼンドルファーはドイツのピアノでとても素晴らしいピアノです。
でも今はヤマハの傘下になっていますけれど、とのこと。 思わずヤマハの?と叫びそうになってしまいました。 だってヤマハよりもベーゼンドルファーの方が有名だと思っていたからです。 でも、ライカも同じですが、名前が有名でも日本の企業の方が大きい。
説明が終わると、一緒に行っていたピアノの先生が昔のピアノを弾いてくれました。 これはたしか昔のフランスのピアノで弦を叩く機構が変わっていてとても癖があり、弾きにくいそうです。 でもこの先生は昔にこのタイプのピアノを弾いたことがあるので、その癖を覚えていてとても楽しそうに弾いてくれました。
このピアノです。 見ただけで当時の貴族の館にでもあったような、高級な作りです。 これは貴重なものでしょうが、私たちもさわることができるのですが、やはりびびって指一本で鍵盤を押さえるぐらいしかできませんでしたが、先生はおどろくほど綺麗に弾きこなしています。
実は、この後、皆がほかの部屋に行ったときに、この先生がこのピアノが気に入ったようで、ベートーベンの悲壮の第二楽章、有名な曲でとても綺麗な出だしです、それをご自分で楽しんで弾いていました。
私はすぐ後ろで一人で聴いていたので、こんな贅沢なことはありません。
ちなみに、私はギターを弾くのですが、帰ってから、ギターでこの曲、悲壮を弾いてみました。 ギター用の楽譜を持っていたのです。始めだけしか弾けませんが、ギターで弾いても良い曲で、さすがベートーベンです。
こちらも音楽の先生で、この先生の演奏は何度も聞いたことがあるのですが、ご自宅のスタンウエイと違って、この昔のピアノの音色は少しチェンバロに似た美しいが細い気がしました。
先生方の演奏が終わると、皆が一斉に見に行くのです。
あっちやこっちに置いてある、おびただしい数のピアノを見てさわって。
このピアノの弦の方向は今のピアノと違って鍵盤と平行方向にあります。
生徒?の中にもピアノが弾ける人は多く、多分この方もピアノの先生をしていたと思われます。
思いっきり弾いてみたいと思いながら見ているのでしょうね。
これなんか家庭用だったのかもしれません。 かなり小さいです。
もっと小さいもの、ポータブルのピアノもありました。
昔の人は馬車に乗ってオーストリアからフランスからいろいろなところに行って弾いていたので、ピアノがない場所では自分のピアノがいる。
そこで、ポータブルピアノになるのですが、今の電子ピアノと違って、弦があるし、馬車での移動で壊れないように頑丈に作ってあるので、写真を撮り損ねたのですが、大人二人でなければ持てない程度の大きさがあります。 でも二人で持ち上げられるのはやはり小さい。
ここでは古いピアノの修理をしています。
修理工場です。
昔のピアノの鍵盤からハンマーの構造です。 細かい機構が並んでいます。 これを修理するのは大変です。
ここにもアクション機構のモデルがあるのですが、もうわかりません。
ピアノの進化過程で、いろいろな方法があったのを改めて感じ取るのが精一杯です。
こういう黒いピアノを見ると新しいように思いますが、結構古い。
修理依頼されたものでしょう。
ピアノの後ろの壁の工具に注目!
このそばにこんな材料が置いてあったり、
そのそばには工作機械が置いてありました。
私が鉄道模型をやっている事を知っている人が、あんたの家にもこんな工具があるんやろ、と言っていましたが、これほど大きいものはなくても似たような工具はあるよと返事しました。
鍵盤と弦が平行なピアノです。 こんな状態から修復するので時間はかかるでしょうね。
またまた、アクションのモデルです。 これは小さい、現在のピアノの弦は3本一組ですが、昔の1本弦のピアノではハンマーはすごく細い、
小指の先もない、箸先ぐらいの細さのハンマーもありました。
こういう時代があって、現在大きなホールで鳴り響くグランドピアノができてきたのです。
最後に、先生お二人の連弾でスラブ舞曲を弾いてくれました。
ラララララ ラー ラ ララララララー で始まるこのメロディー大好きです
これも古いピアノでの演奏ですが、とても良い音色で、ドボルザークに酔いしれました。
と言うことで、ピアノ歴史館を後にしましたが、お二人の先生は一日中、いや一週間でもこの歴史館に居て、いろいろなピアノを弾きたかったでしょうね。
湯の山温泉には何度か行ったことがありますが、このピアノ歴史館があることは全く知りませんでした。 高速道路からも近いし、菰野という名のように、狐が出そうな草原を通ってすぐです。 近鉄湯の山駅からも歩いて行けそうです。
おわり
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