私鉄風レイアウト Nゲージ
駿遠線のレイアウトは引越しのため解体した。
新居に移り、新たなレイアウト製作にかかった。
駿遠線はナローで渋かったが、その走りのとろさに飽き飽きしだしていた。
そこで、私鉄のカラフルな特急をぶっとばそうと、Nゲージでレイアウトを製作し始めた。
という前置きですが、
実は私鉄レイアウトは2つあります。2つとも完成にいたりませんでした。
何故完成しなかったのか、というのも含めて載せて見ます。
upload 2005/12/21
レイアウト1 複線エンドレスレイアウト
1800×1200程度+張り出しの終着駅
1980年頃着工
プランです。 汚い絵でごめんなさい。当時のアルバムに描いたメモです。 複線エンドレスで、外の線から下に下りて高架下の駅を通って、複線エンドレスの内側につなぐ、という線路配置です。 下の駅にバツがしてあるのは、製作途中で点線のように変えたからです。 |
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まず、下になる部分から着工しました。 高架下の駅になる部分です。ここでエンドレスの外から来た電車と、内から来た電車がすれ違うという想定です。 それから、これだけ奥行きがあると、手前から工作ができません。そこでレイアウトは木で作った「レール」の上に乗せてあって、前後に動かせるようにしてあります。 後ろの工作のときはレイアウトを手前に引き出して、下をくぐって後ろに回って工作しました。 |
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線路がひけた左半分。 テストランのために、仮の運転装置がある。 |
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右半分 複線エンドレスから下の線に行く線路があるので3線になりかなり都会風です。 |
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箱が置いてあるのは建物を想定して感じを見ているところ。 この写真でわかるかもしれないけれど、下の線がほとんど見えない。全然つまらない。 ということで、、、 |
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下の線路をプランの点線のように変えました。 S字カーブで手前に持ってきました。 すれ違いが出来る駅は作れなくなりましたが、実はこの線路を走ってくる姿が、実に感じが良いのです。 写真は無いのですが、運転している人に向かって列車が来る。しかもS字で曲がりくねる。 これはすごく魅力的なアングルです。 以後のプランつくりに大いに役立つ結果になりました。 |
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そして右半分はこのようになって、張り出し部分の終着駅につながります。 | |
これは終着駅です。 | |
かなり出来てきたところです。 でも、ここで終わってしまいました。 何故でしょう。 |
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たしかに私鉄特急が複線エンドレスをびゅんびゅん走り回りました。 でも、エンドレスの外から中に走らせるのにスイッチの切り替えなどが面倒だったり、この大きさのエンドレスではすぐ回ってきてしまって、せわしないと、記録には書いてあります。 結局狭い所をぐるぐる回るだけのプランでは運転が面白くないということなのです。 それもゆっくり走るような鉄道ならともかく、ぶっ飛ばすには目が回るということで全面的につぶして作り直しということになったのでした。 |
プランです。 目が回る狭い複線エンドレスはやめて、L型の特徴を生かした8の字のエンドレスに終着駅がついています。 終着駅は阪急梅田、左は神戸の山手ということで間は芦屋という設定です。 山手では見た目に変化をつけるために複線を交差させています。 |
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神戸の山手、異人館や瀟洒な喫茶店、マンションなどが建ち始めている。 山手を作るのは土地の高低があるので、地面つくりと道つくりに気を使います。 |
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芦屋付近になる部分。少し高級な家を作らなければ。 | |
こちらはレイアウトの右側。 |
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店やマンションが増えてきて、神戸の山の手らしくなってきた。 |
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手前の家はペーパーで自作。 後ろのマンションはキットを大改造。 |
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そして芦屋の旧家も自作。 実はこのためにカメラを持って芦屋付近の家を撮影していたのです。 でも住宅地で家を撮影していると怪しいですよね、 案の定声をかけられました。「あんたも新聞配達所か?」 そう、新聞配達がシェアを広げるのに、地域の写真を撮っているのと間違われたのです。 |
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中間駅 | |
阪急梅田のつもり。 後ろのデパートは京都の阪急デパート。 ただし文字はロンドンの名門デパートHarrodsと書いてある。 30年ほど前にロンドンに行って分かったね。Hankyuの字体はHarrodsを参考にしたのだと。 それであえてHarrodsにしたんだよ。 |
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梅田付近。 左手前のビルは丸ビル第一ホテル。 |
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小堀住建(実は我が家はここで建てた)、そして何故か天賞堂がある。 |
これ以後も、もう少し完成に近づいてきたのですが、それに従い問題が出てきたのです。
それは、都会の雑踏です。毎日都会の雑踏の真ん中に出かけて仕事をしているのに、また家でも雑踏かとレイアウトを見ても安らぎを感じられなくなってきたのです。
そこで思い切って全部取り壊して、ヨーロッパのスイスの景色を作る事になったのです。
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