鉄道模型紀行 I  その1

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1993年から鉄道模型紀行というツアーがあった。
何度か参加したので、その思い出を記してみた。

一部海外旅行のページとダブル部分があるがこちらは旅行記として書いてみたい。

一気に書かずに追加して行くが、下に追加するのでスクロールして見ていって欲しい。
原文は当時に書いているが、2022年改めて加筆修正している。

1993年 第一回鉄道模型ツアー はじめに
このツアーはモデルバーンが主催して、JTBが企画したツアーで、鉄道ツアーでは無くて、鉄道模型紀行という名前が付いている。 私はイギリスには行ったことがあるがヨーロッパ大陸は行ったことが無い。 

まあまあの費用は掛かるが模型と付いているので、行った町で鉄道模型店に案内してくれるという。 これは行かないわけにはゆかない。

そして、この鉄道模型紀行はこの後数年に渡って行われ、私も飛び飛びではあるが4回参加している。

その中でも第一回は始めてのツアーなので、特別で至れり尽くせりのサービスであった。 しかし、そのために多少きつい行程となり、翌年から緩やかな行程に変っていった。

とりあえず、第一回の話を始める。 初めてというのは何もかも珍しくて面白いので話が長くなる。

なお、当時はディジタルカメラが無くフィルムカメラなので撮影枚数も少なく暗いところでの写りも悪かったので、画像は少ない。
1993年2月
1日目 出発
1 出発

 今は1993年2月、そして私は成田空港に居る。 
「ヨーロッパ鉄道模型紀行とオリエント急行ランチトリップ」というツアーに参加するためだ。 

今までに鉄道旅行のツアーというのは聞いたことがあるが、鉄道模型をタイトルにしているのは初めてだし、オリエント急行にも心を惹かれた。

企画は宝塚にあるモデルバーン(現、芦屋)でJTBが主催する。 唯一の顔見知りであるモデルバーンのK社長は先にドイツに買い付けに行っており、現地で合流するとかで、知り合いもいないので、心細く集合場所に行く。

集まっていたのは20代の若者から70歳を超えたような夫婦まで約20名である。 私は40代後半で私より年寄りも多く、かなり面白い取り合わせであるが、取りあえず顔を見て安心する。 

そして、今回がヨーロッパ初めてというJTBの小亀さんの引率でこの旅が始るのであるが、小亀さんが後から言っていた事は全国から年齢も違う人達が集まって、初対面だというのに、皆さんあっという間に仲良くなって話が弾んでいたのには驚いた。 この先の行程も安心だと思った。 と言うことでした。

そりゃあ、鉄道模型好きという固まりで集まっているので話も合います。

(ルフトハンザ LH 711便 この後もよくお世話になった便です)

そして、皆の期待を背負ってルフトハンザ機は無事離陸してドイツのフランクフルト空港に到着した。


2 フランクフルト
 
空港にはモデルバーンのK社長が迎えに来てくれていた。 まずは円をドイツマルクに両替して、フランクフルト市内のホテルまで電車(Sバーン)で行くのだが、切符は各自で買う。

自動販売機の使い方が分からない、ドイツマルクのコインもよく分からない。  よってたかって自動販売機を触っているうちに、一人が窓口で切符を買ってきた。 なんだ、窓口で駅名を言えば良いのか。

空港の地下に駅があり大きな荷物をごろごろ押しながらエスカレーターでホームに降りる。
待つこと数分、初めて見るドイツの電車が入ってきた。 乗り込むと中は落書きだらけだった。 他の客は僅かだったが、メンバーは皆旅行カバンを抱きかかえるようにして緊張している。

やがて電車が地下から地上に上がるとすでに外は暗く、あまり景色が見えない。 なんとかドイツの様子を見ようと目をこらすと小さな駅を通過した。 数年前に定年になった新宿のK島さんが 「やはりドイツですよ! 駅の街灯がメルクリンの街灯の形をしている。」 と指さした。

たしかに街灯がメルクリンのカタログで見るような、柱の上に蛍光灯を真横に付けたTの字の形をしている、メルクリンの世界に来たと実感した瞬間だった。  そして電車はフランクフルト中央駅に滑り込んだ。


フランクフルト中央駅

ホテルは駅の横にあるインターシティーホテルで、部屋のドアはブルー、壁の色は白、スイッチ類や内装も現代的でシンプルであるがとても綺麗。

それもそのはずで、ドイツの誇る高速特急列車インターシティーエクスプレス(ICE)のイメージで作ってあるのだ。


3 初めての食事

 まだ夕食をとっていない。 このツアーではホテルと主要駅間での切符はついているが、食事はついていない。

初めての街での食事は不安である。 K社長の「食事に行く人は居ませんか」という言葉に飛びついて、皆ぞろぞろついて駅に行く。

駅には色々な軽食屋があり、サンドイッチやおかず類を売っている。 K社長はそれをいとも簡単に買い、立ち食い用のテーブルに行き食べ出した。
おいおい、それは無いぜ、こっちはドイツ語も買い方も分からないので、当然何か注文してくれると思って付いてきたのに、 さっさと自分だけ食べ始めて・・・・・・ も~。

仕方が無いので自分で買うか、と勇気を出してトライする。 なんとか指さしで買ったのはサンドイッチ。 食べ始めたら魚の味がする。日本でも魚のサンドイッチなどあまり知らないが、まさかドイツで魚とは! それにビール、ということで初めての夕食をなんとか腹に入れたのでした。


初めてのドイツでの食事
正面がk社長。 左が同室になったM本さん。 神戸電車の社員だそうだ。


日本からの長い一日が終わりました。
2日目 フランクフルトからデュセルドルフ、ヴュルツブルグ

4 ルフトハンザエクスプレス

ホテル、暗い内に起きる、 同室のM本さんが2月のドイツの早速ビデオを出して撮影している。 2月の厳寒のドイツで寒いのに窓を明けて、まだ薄暗い町のビデオを撮りだした。 窓の下に市電が走っていたのだ。

石畳の上を市電が走っている。 ヨーロッパの市電は格好が良い。 様になる。停留所には通勤と思える人が数人待っている。

確かにフランクフルトの街角の風景だが、まだ1日目(本当は2日目だけれど昨日は来ただけなので、頭の中は1日目)でこんなに朝早くからがんばって大丈夫なのだろうか? 取りあえずフランクフルト空港駅に向かう。


ここで、本日の予定を示すと
フランクフルトからルフトハンザエクスプレスで左上(北西)に向かいライン川の横を通ってデュッセルドルフに行く。 そこで模型店に行く。
デュッセルドルフから、TEE特急でフランクフルトに戻りさらに左下(南東)に向かいビュルツブルグに行く。 総行程300km以上あるだろう。


フランクフルト空港駅に、ナマズのような顔をした黄色い電車が入ってきた。 これぞルフトハンザ社がフランクフルトとデュッセルドルフの間を結んでいる特急列車で陸の飛行機と称しているルフトハンザ・エクスプレスだ。

何故、飛行機会社のルフトハンザが列車を走らせるかというと、飛行機を飛ばすほどの距離でも無いし、かといって黙ってみているのも癪だ、ということでドイツ鉄道(DB)の線路を借りて運行しているものである。

この列車は、ルフトハンザの利用客でなければチケットが買えない。 われわれはこのために日本からルフトハンザで来たのだ。 これに乗るのもこのツアーの目玉だ。


これはデュッセルドルフに着いた時の写真だが、こんな顔をした電車だ。



5 ラインの旅人

 列車が動き出すと、ドイツの景色が走り出す。 初日であることと立派な椅子の客室に車内は感激の渦で、まるで写真撮影会のようだ。 やがて列車はマインツという駅に着いた。 
ここはマイン川とライン川の合流点でここから下流はライン川となる。  マイン川は聞いたことが無かったが、この後私に大きな思い出を残してくれた川だ。


右がフランクフルト、ここからマインツを通ってライン川沿いに左上に向かい、デュッセルドルフに行く。  途中、ローレライやボンなどがある。


やがてライン川に沿って走る頃、飛行機と同じ制服を着たスチュワデスが機内食を配り始める。 ライン川の向かい岸には時々古城が見える。 大きな船が行き来する。


食事をしながらラインの古城がつぎつぎに走り去る夢心地の内に、ローレライを通過した。  確かに車内放送でローレライと言った。 あーこんな所かと言うほどあっさり通過した。


窓ガラスにピントが合ってしまっているが、多分ここがローレライ。 船の難所で遭難が多くて魔物が出るという言い伝えがあるところ。

ピンぼけで申し訳ないので

この写真を載せておこう。 横がライン川でこういう所をずっと走って行くのだ。

一息ついたところで、私は車内見学に先頭車に向かう。 後ろを数人が付いてくる。 



途中、スチュワデスさんが休憩していたので記念写真を撮ったが、上手く行くと運転室に入れてくれるかも知れないとのこと。

運転室は電車なので客室からつながっているが、日本の電車と違ってすぐ後ろは機械室だった。 で、機械室を通って運転室に行く。 入って良いかと尋ねるとOKの返事が来た。

運転士は2名でサンドイッチを食べ食べ、しゃべりながら運転している。 もっとも、線路の上を走るので、多少よそ見していも問題ない。



スピードメーターは 160km/hを指していた。 線路の横は広々しているのでそんなに速い感じは無い。

私たち数人が席に戻ると、これを聞きつけて何人かが運転室に行った。 まさか、鉄道好きがたくさん乗っているなんて運転士さんも知らないので、 つぎつぎに訪問を受けて驚いただろう。


最近までドイツの首都で、この辺の人は今でも首都と思っているボンを過ぎ、まるで東京タワーのように大きいケルンの大聖堂を真横に見ながらデュッセルドルフに着く。 (西ドイツの首都はベルリンではなくボンだった)




6 デュッセルドルフ

 早速ツアーの主題である鉄道模型店巡りが始る。 ここからはJTBの小亀さんでは無くモデルバーンのスタッフによる引率となる(宝塚本店、横浜店、東京店、名古屋店)。 

このツアーの良い所は皆で同じ所を回るのではなくて、各人の希望を入れてくれる。 そこで、街中の模型店に行く人と、郊外の模型店委行く人に分かれる。 私は歩いて行ける街中組。 でも市電が珍しいので写していると置いてきぼりを食いそうになる。


デュッセルドルフ市電、 違う色の市電もあった。


模型店は決して大きくないが、ショーウインドウには色々な大きさの模型がたくさん飾ってあった。 日本型もあった。 店ごと買いたいぐらいだが、そうも行かない。 私は車両より、レイアウト用品である木や草などのマイナーな物を探す。

ドイツでは多くの家庭にレイアウトがあり日本では手に入らないような小物類もたくさん売っている。 小さな小屋の傍でバーベキュウーをしている10cm四方ぐらいの景色が作られてあった。  この景色は後日私のレイアウトで生き続けている。 





第二次ウエルテン王国鉄道のこのシーン。



レジに並んでいる時に後ろからドイツ人に声をかけられた。日本語である。
何を話したか忘れたが、日本語を習っているそうでだ。 しかし、片言の日本語の相手をするのは辛い。 逃げ腰で話を打ち切る。 多分外国人もこちらの片言の英語には辟易しているのだろうと思う。


もちろん機関車も買っている。 ドイツで購入した初めての機関車。
TRIXの美しい蒸気機関車で、驚くなかれ、従輪も動力車輪だ。

(模型店名はトフトフ。 数年前、知り合いの大学の先生が学会で行った時にこの模型店に立ち寄ったそうだ。 地理を聞いたら間違いなくトフトフだった。そこでDCCの機関車を買ったそうで、コントローラーが分からないと言うので私の使い古しのフライッシュマンのDCCコントローラーをさしあげた。 なお、2022年グーグルストリートで見たら店はまだ健在だった)



7 ビールを味わう

 ここから私には大きな目的がある。 旧市街にあるドイツビールの店ツムユーリゲに行くのである。 たくさんでは素早い行動は出来ないので、同室のM本さんを誘い2人で旧市街を探す。

旧市街は石畳だ。 ヨーロッパの車は石畳で鍛えられているので足回りが良いと聞く。 そこで走ってくる車を見ていたらスズキの軽自動車でがっかり。


店は外からではビヤホールとは思えない建物で、旅行書が無ければ見逃しただろう。 中はいくつもの部屋に分かれていて、ステンドグラスのある比較的小さな部屋に陣取る。

さて、ビールはともかく、あては何をどう注文したら良いのやら。 何せ、まったくドイツは始めての2人だけで来たのだから、お互いに注文の押し付け合いをしたりして、結局見えているところにあった黒っぽい大きなウインナーソーセージを頼む。 
これがおいしくて、ビールも最高においしくて、仕方なしに付いてきてくれたM本さんも喜んでくれて良かった。


旅行書に載っていただけのことがあって、重厚な良い雰囲気の店。

店に入ったらトイレに行っておく、これは鉄則だ。 トイレの入り口は男と女の二つあるのだが、ドイツ語で書いてあって分からない。 ままよと入ると少し長い廊下だったが、中から女性の声が聞こえ、慌てて戻る。

DAMEN(ダーメン)が女で、HERREN(ヘレン)が男。 日本人には反対に感じるので思った反対に入れとは後から習った。

部屋に戻る途中ビヤ樽をテーブルにした部屋があった。 なかなか様になっているので写真を撮ると、ドイツ人が手を挙げて「こんにちは」と言うではないか。 さっきといい、ここといい親日的だなと唯一のドイツ語「グーテンターク」で返事をする。 (後日聞くと、デュッセルドルフはドイツで一番日本人が多い街だそうだ、会社の駐在員?)

駅には市電で帰る。 停留所で見ると子供と犬が同じ値段のようだ。 犬でも乗れるのに感心しつつ、自分たちだけで市電に乗れた事にも内心自分を褒めた。



8 ペンデルツーク

   デュッセルドルフからはIC特急でフランクフルを通過して、今日の宿泊地ビュルツブルグに向かう。 デュッセルドルフ駅は日本の大きな駅のようで色々な列車が発着する。 近郊型の通勤列車が入ってきた。

先頭は電車の顔をしている。 しかし、10輛ちかく繋いでいる一番後ろから電気機関車が押しているでは無いか!!

K島さんが「ペンデルツークですよ。 運転席がついた客車を後ろから機関車が押していて、反対向きに行くときはもちろん機関車が先頭になります。 電車と違って機関車が故障しても機関車だけ代えればよいので、合理的なところがあるんですよ」

われわれからみれば、脱線しそうな気がするがそんなことはない。 もちろん皆シャッターを切り続けているが、ドイツでは当たり前で、珍しい列車では無い。  もっとも若いKK太くんは模型店に行かずにここでずーっと列車をとり続けていたらしく、鉄道ファンからすれば珍しい列車が目白押しだ。


ペンデルツーク(英語ではプッシュプル)。 左は機関車が先頭で普通の客車列車のように見えるが後ろには制御車がついている。

右に止っているのが、電車のように見えるが制御車。 この後ろには電気機関車が付いているはず。

(これが珍しいので後日我がレイアウトでもこれを購入してバック運転?で走らせている)


9 コンパートメント

 赤と肌色のTEE全盛期時代の塗り分けの特急列車(インターシティー IC)が入ってきた。 車両は1等のコンパートメントでヨーロッパ鉄道旅行のもっとも魅力的なものだ。大喜びで乗り込もうと思ったのだが、ここで落とし穴があった。

20人ほどが大きな旅行カバンを持っている。 フランクフルトでは始発であったしポーターが荷物を運んでくれたので問題は無かったが、この駅でもここまではポーターが運んでくれたのだけれど、ここからは一人ずつ荷物を列車に載せなければならない。

狭いドアでしかもホームより高い入り口に大きな荷物を持ち上げて入れなければならない。 年寄りが多く荷物が上がらない。 若者が手伝う。 数人が乗り込んだところで、今度は中で荷物が邪魔になってそれ以上乗り込めない。 発車時刻は迫るし。

私の荷物はリュック型だったために後回しにして荷揚げを手伝っていたら、発車の時刻になっている。 あわてて他のドアに走ろうとしたが、その時間も無さそうで、最後に何とか乗り込んだところで発車。 危なく乗り遅れるところだった。

このドアひとつから20人分の大きなスーツケースと人間が乗り込んだので車内の通路もいっぱいで後ろの人は乗るのに苦戦した。 なにせ初めてなもので。

コンパートメントは6人部屋で、実にゴージャスな気分になれる。 それが空いていたので一部屋に2~3人でリッチな気分。 しかしこれも仲間の話で、狭い部屋で知らない人と一緒だと気疲れすることもある。このツアーは趣味が同じなので話が弾む。


「やっぱコンパートメントはええにゃー」と常滑から来た段ボール屋の I籐さん。 この人とこの後何年かにわたって何回か旅することになるとは思いも付かなかった。


荷物は椅子の上の棚に上げてある。 大きなスーツケースも上げられる大きさがある。

われわれの車両は最後尾だったので、デッキに行けば連結面のドアの窓から後ろが見える。 約150km/hの速度で、まるで飛ぶように景色が後ろに飛んで行く。 するとE籐先生、この方は早稲田鉄道研究会のOBで先生と呼ばれている、が「架線を見て下さい。線路の中心では無くて左右に交互にずらしているでしょう。 パンタグラフのシューの同じ所に当らないように左右にずらしてあるのです」

なるほど、走り去って行く架線を見ると、見事左右にジグザグ動いて行く。 日本の鉄道でもなっているのだろうが、多分これほどジグザグでは無いだろう。

架線は写真では白く飛んで見えないがジグザグになっている。 ICは凄い速度で飛ばしているんだ。


ペンデルツークとすれ違う。


メルクリンかフライッシュマンかと思うような小型ディーゼル機関車。


このレールバスも現役で居るんだ。



10. 機関車の付け替え
 フランクフルト中央駅は頭端駅(Kopfbahnhof)で頭から列車が駅につっこみ、後ろに機関車をつないで反対向きに出発する。駅に着くと早速、カメラを片手に機関車の連結を見にゆく。 

新たにつなぐ103型電気機関車がゆっくり近づいてきた。これは典型的な特急用機関車で、知る人には涎が出そうな有名な機関車である。


後ろに繋ぐ機関車が近づいて来た。

オレンジのヘルメットを被った連結手は、線路に降りて客車の連結器の所に立っている。機関車が近づいても、連結手は客車の前の線路の真ん中に立って退かない。 思わず機関車と客車に挟まれると思った。

機関車は音もなく客車にひっついた。連結手は機関車と客車の間につぶれもせずに立っていた。実はヨーロッパの連結器は車体の両脇にバッファと呼ばれる緩衝装置が付いていて、連結器は鎖状のネジであり、日本の連結器の握手をするような形の自動連結器ではない。それで線路の真ん中に立っていても大丈夫なのだ。


連結手はこの間に入ったままで、連結器を繋いでネジを締めたのでした。

日本でも明治時代はこの形式で、その後アメリカから入ってきた自動連結器に代わっている。だから、私の目にはヨーロッパは未だに明治の凄く古い連結方式を使っていると思っていた。しかし、この古くさい方式が実にすばらしい乗り心地を生んでいるのだ。日本では列車が走り出すときに、ガクンガクンと衝撃が走ることが多々ある。これは連結器に遊びがあるために、ガガガガン、ガクンと走り出すのだ。ところがヨーロッパでは緩衝器のおかげで遊びが無く、まるで滑り出すように走り出す。これには驚いた。古い物がすばらしい乗り心地を生みだしている


 列車はさらにビュルツブルグに向かって走る。このツアーには食事は付いていないので、全て自分たちでまかなわなければならない。ということで食堂車にトライする。4人掛けの食堂車はテーブルにランプがあり、花が飾ってある。ここではサンドイッチ系のものを頼んだ。

食事はなんとか済ませたが、よく見ると指定席が取れなかったのか、コーヒー一杯で食堂車に粘っている人達がいる。横に大きなバックを置き新聞などをいつまでも読んでいるのですぐ分かる。 ドイツでも日本と同じ様なことをする人はいるものだ。

 ビュルツブルグ着 20:44分 、フランクフルトから4時間弱のインターシティーの旅だった。


デュッセルドルフからヴュルツブルグ。 飛行機の絵は空港があるという印で、この間は列車での移動。  西ドイツ、東ドイツとは古い地図だが、当時はまだこんな感じだった。



11. ビュルツブルグ

 ビュルツブルグでは観光バスが待っていた。 時間も遅いし、ホテルが駅から遠いので用意したとのこと。 そこで日本人の女性ガイドさんが、「ここはロマンチック街道の始点の街で、シーベルトやレントゲン博士が住んでいたことでも有名です」と案内した、疲れていた体にレントゲンという言葉は眠気を覚ませた。
私は放射線技師で、レントゲン(X線)は飯の種である。 そうかこの街でX線を発見したのかと、思わずプロ意識が持ち上がる。

やがて、マイン川の岸辺で、「向かいに見えますのがマリエンベルグ要塞です」と、オレンジ色に照明された古城を指差した。この時は照明の色だけが記憶に残ったが、翌年この城を訪れることになる。

これは翌年の写真だが、観光バスからこの様に見えた。
下はマイン川

 団体客の常でホテルでの部屋割りの間、ロビーで待たされる。 ホテルは木造のドイツ風の建物だったが、待っている間に大きな犬を連れた人が犬と一緒にエレベーターに乗っていった。 犬も泊まれるのだ。

部屋に着いた。早速風呂をチェック。

「M本さん今日はバスがありますよ」

飛行機以来シャワーしか浴びなかった体には風呂はありがたかった。

 こうして、朝、暗い内から起き、夜の10時にホテルに入るような、実に色々あったドイツ2日目は終わった。



12. レントゲン

1993年鉄道模型紀行1 その2 につづく