私の車遍歴

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upload 2018/4

車、鉄道模型とは直接関係が無いけれど、鉄道模型好きは動くものが好きな人が多く、車も例外では無い。
そこで、私のしょぼくれた車の歴史でも述べて、昔を懐かしんでみたい。
きっと、同調してくれる人もいるかも知れない。


1.YAMAHA YA5
2. 免許とコンテッサ1300
3. ホンダ T360 
4. ホンダ S600
 小気味よいハンドリング
5. ホンダ N360 初めてのマイカー
6. ホンダ Z360 水冷エンジン

わたしの車遍歴 1
1. ヤマハYA5
 初めて乗ったエンジン付の乗り物、それはホンダのスーパーカブだった。 昭和30年台、小学生か中学生だったろうか、スーパーカブが売り出されてすぐの頃だと思われるが田舎のたんぼ道を走らせた覚えがある。 もちろん無**である。

それから何年も経った頃、親父が中古のバイクを買ってくれた。 YAMAHA YA-5だ。 弟と2人で使用するのであるが、オレンジメタリックに塗られた綺麗な単車で、125cc原付2種である。

と書けばかっこうよく思うだろうが、これがかなり酷い状態で、前輪、後輪とも車輪が振れる。 走るとハンドルがふらつくのだ。 店でスポークを調整して貰ってもまあまあまでしか直らない。


そして、速度は70kmほどしか出ない、と言うことは上り坂では30kmぐらいしか出ないのである。 

2サイクルのエンジンは混合ガソリンなのでマフラーから煙を吐きながらビービー言わせながら30kmほどでやっと坂を登る。

どちらにせよ速度を出すとハンドルが振れ、車体も振れるのでさほど飛ばせない。 最も私は恐がりで、カーブを曲がるときステップが擦れるほど傾けて高速で曲がるなど、とても出来ないしやる気もしない。

こうしてバイクを楽しんでいたのであるが、金が無いのでメンテナンスは自分でやる。 一番大きな作業はピストンリングの交換だった。

当時は学生で大阪の学校に通っていたこともあり、大阪桜橋近くの南海部品でピストンリングやガスケットを購入。 エンジンヘッドを外してピストンを取り出し、リングを交換する。
幸い2サイクルなので構造がシンプルなのでやりやすい。

交換後、ポイントのタイミングあわせがある。 これはシリンダーが上に来たタイミングで点火プラグが発火するようにタイミングを合わせるのであるが、実際には発火までの時間遅れがあるので、エンジン回転が高くなるほど上死点に来る前にタイミングを合わせなければならない。

作業自体はさほど難しくないのであろうが、なにせ、まったくの素人で勘だけでやっている。
そして、タイミングが悪いとパワーが無い。 そこで一生懸命調整するのだが、ある時に、エンジンはかかったものの何かおかしい?

驚いたことにエンジンが反対方向に回っていたのだ。 そんなことってあるのだ。 2サイクルだからだろうか? 


後ろは桃山城で、観光用に作られているのであるが、資金不足でこの状態で何年か放置されていた頃の写真である。

その後近鉄が買い取り、城は完成、周りは遊園地になったが、それも何年か前に遊園地は撤去、城も撤去されかけたが市民の要求で京都市が管理することになり解体は免れた。

しかし免震対策の費用が捻出できず天守閣の中には入れないが、遠くから山の上に見える美しい姿は伏見のランドマークとなっている。

この写真を見ると城の事を思い出すのだ。


YA5 完
2. 免許とコンテッサ1300
20歳過ぎの頃だろうか、免許を取るために自動車学校に入学する金が無いので、1時間幾らの個別の時間レッスンを受けていた。

あちこちの教習所で、レッスンを受けるのであるが、必ず何時間乗ったか聞かれる。 正直に言うとクランクなど難しいコースは走らせてもらえないのでさばを読んでかなりレッスンを受けたようなことを言って一通り運転できるようになり、免許の試験を受けに行った。

学科試験は簡単だが実施試験は厳しい。

試験当日、何とか運転して、踏切にさしかかった。 踏切は上り坂で、一旦停止し、上手にアクセル、ブレーキとクラッチ操作をしないと後ろに下がってしまう。
案の定、後ろに下がってしまった。 すぐにブレーキを踏み、もう一度やり直したのであるが、もう失敗できない。 かなりアクセルを吹かして、クラッチ合わせをして、前に進むはずだったのだが、先ほどよりもきつく後ろに下がってしまった。

「分かったか?、降りなさい!」という試験官の声が聞こえて、その場で車を降ろされてしまった。 もちろん落第である。
分かったかという意味は、チェンジレバーがバックに入っていたからである。
そりゃあ、バックに入っていれば、後ろに下がるのは当然だ。

大失敗である。 理由はハンドルにチェンジレバーが付いていたのであるが、親戚のトラックで練習したことがあり、その車と教習車でレバーのパターンが違ったからで、ローに入れたつもりがバックだったというわけ。


さて、2回目の実施試験を申し込み、これを落ちると学科試験からやり直すので仕事もたくさん休まなければならない。 絶対に受かりたい。

試験当日、何人も受験者がいるので私の順番までにはかなり時間があった。
そこで、隣にある教習所で例の時間借りをしに行った。 

教習所で車を運転していると、教官が「いつ試験を受けるのだ?」と聞くので、今日だ、試験を待っている合間に来た、と言うと教官が「おまえは落ちる。 運転を代われ! 」といって、運転を代わらされた。

教官の運転を見ると、左右の確認に顔を優しく動かして右左を見る。 ハンドルも、ミッションも優しく優しくゆっくり操作している。

これだ! と思った。 私は試験の時に試験官が左右確認を見ているはずなので、顔を兵隊のようにビシッビシッと固く動かし、他の操作も同様に無理矢理素早くしていたのである。 それでは、いかにも運転が不慣れなように見える。

動作をゆっくり優しくした方が余裕があり上手な運転に見える、と気がついたのである。

そして本番はそのようにした。 すると合格した。 自動車学校の教官のおかげである。 もしその時にその教官に教えて貰わなかったらまた落ちていただろう。 感謝!


かくして免許を取り、友人のコンテッサ1300であちこち走り回ったのである。

コンテッサ1300は日野の製品で、ミケロッテがデザインしたとても綺麗な格好が良い車である。

ネットより


しかし、友人のそれは7万円で買った当時でも思いっきり安い中古車で、ボディーには錆びが出てうっかり強く押すとボディーに穴が開くほどの代物であった。

時には交差点の真ん中でエンストして動かなくなったり、夜走っている最中に突然全部の灯火が消えて、ヘッドライトはもちろん何もかも真っ暗になったことがある。 びっくりであるが、エンジンはかかっていて走れる状態だった。

ヒューズが切れたのだろうが、真っ暗ではヒューズの位置さえ探せない。
幸い我が家の近くで、バイク屋を知っていたので、そろりそろりとゆっくり走ってバイク屋で直して貰った。

暗い夜道を無灯火の車が走っていたのは当時とは云え不気味で危険だっただろうが、ほとんどすれ違う車は居ない時代だった。

この車はリヤエンジン、リヤドライブ、すなわちRRだった。 後ろにエンジンなので荷物は前のボンネットがトランクになっていた。
こういう構造なので後ろが重く、前が軽い。 すると横風に弱い。 横風があるとハンドルがふらつく。

名阪道路は高速では無いが自動車専用道路で、殆どの車が結構飛ばしていた。 そこで運転していて、前の車を対向車線に出て追い越して左の車線に戻ろうとしたが、車が浮いている感じというかハンドルが効かない感じ。

 左に曲がってくれない。 無理矢理ハンドルを切るとオーバーステアになりスピンするかガードレールに張り付きそうな気がする。

気がするだけで、実際にはそんなにならなかったけれど、前から車は来るしひやひやしてしまった。

 怖い思いしたのはRRで風で前が浮き上がり状態で、フロントのグリップが悪かったからだろう。  せいぜい60Km/hを少し越した程度なのに。

外観は格好良い車だったが、RRは懲りた。

もっともポルシェはRRなので、その車の整備状態が悪かったからかも知れない。



3. ホンダ T360
ホンダのトラックである。
ホンダが2輪から4輪に足を踏み出した頃、T360という軽のトラックを出した。
既存の4輪メーカーを守るために、4輪への新規参入メーカーはまかり成らんと言う法令が出来る前に滑りこませたようだ。



そこで、思いっきり高性能の車を目指した、
なんと軽トラックなのにエンジンが水冷でDOHC、4気筒である。 そしてキャブレターはCVキャブ4連装でそこらのスポーツカーどころの騒ぎでは無い。

この軽トラックが親戚にあったので乗ったことがある。

河原の砂利取り場のだだっ広い場所で、砂利でテールを滑らしながら運転した。 なんと言っても、凄いふき上がりのエンジンで、それこそスポーツカー並なのだが、これ以上の記憶が無い。

しかし、この車に対して強烈な愛着を感じた。

まあ、トラックとしては使いにくかったようであるが、

4. ホンダS600
ホンダS600、弟の車である。


ホンダスポーツ、S600はハードトップの写真になっているが、S800のような幌の車だった。

エンジンは606CC 直列4気筒、DOHCだ、当時トヨタのマーク2だったか、ツインキャブと大々的に宣伝していたが、こちらはツインどころかフォーキャブ。 しかも格好が良い京浜のCVキャブだ。

レッドゾーンは8500回転だと思ったが、実際にはそれ以上回る。 

ユニークなのは後輪への駆動がチエンで、いかにも2輪のメーカーらしい。

スポーツカーというのは、最高速度が速いというわけでは無い。 運転していてまるで自分の体のように、意のままに挙動してくれる事が大事だ。

アクセルを踏むと瞬間に加速し出す。 ハンドルを切るときりっと追従してくれる。 ブレーキも同様に踏み力に応じて反応してくれる。

この車は実に気持ちが良かった。


こういう車に乗るとドライビング手袋をしたくなる。
顔も渋く? しかめっ面をしたくなる。

ウッドのハンドル、丸いメーター類、男心をくすぐるのだ。

走り出すと車が沈んで地面に張り付く感じがする。 横に乗った友人がそう言った。 隣に乗っていても分かるんだ。 きっちり地面をとらえてフワフワするような感覚にはならない。 安定している。

幌を開けてオープンで走ると気持ちが良い。 冬場は寒いだろうと思うだろうが、足下に暖房を入れて走ると屋根のある車のように熱が頭の方に溜まらないので、頭寒足熱で実に気持ちが良い。

むしろ夏オープンで走ると直射日光で熱い。だから帽子が必要だ。

オープンで雨が降ると、少しぐらいの雨なら問題ない。 しかし信号待ちで止まると雨に濡れる。 その時には幌を掛ければ良いが、一度幌を外し(家に置いて)走っていて、夕立に遭い、喫茶店に逃げ込んだ。 車内はびしょ濡れなのだが、床には水抜きがあり水はたまらない、シートもすぐに乾いて、意外とどうも無いものだと思った。

ちなみにオープンのまま車を離れてもグローブボックスには鍵を掛けられる。

オープンカーでトンネルを通るとやかましい。 特に高速道路ではかなりエンジンを吹かしているのと、他の車の音でやかましい。 トンネルの壁で反響する音を体全体で受け止めている感じ、まあ、これも面白い点ではあるが。

以後、自分の車を買ったときにオープンカーでは無いがサンルーフを何度か選んでいる。 S600でのオープンのさわやかさが忘れられなかったのだろう。


琵琶湖大橋の近くに広い造成地があった。 そこでドリフトとカウンターステア(逆ハン)の練習。
アスファルトだと、高速になるので怖いが下が土だとゆっくりでもテールを流せるので練習に良い。


これは弟がドライブしている。 後ろに琵琶湖大橋が見えている。
写真の撮影は私の方がうまいので、弟の写真は上手に撮れているが、私が写っている分は迫力が無い


これは私がドライブしている。ヘルメットをかぶって安全運転、じゃあないか。
迫力が感じられないのは写真の腕の所為では無く、実は弟の運転よりもずっと遅いからだ。

でも、この車のおかげでヒールアンドツーやダブルクラッチを覚えた、というか完全にこなせるようになった。



これは弟がジムカーナで走っているところ。 ヘッドライトには割れた時のためにテープを貼ってある。


私だってジムカーナの練習ぐらいしたのだ。
後ろに車が転倒した時用にロールバーを付けてある。

運転していてとても気持ちが良い。 なんと言ってもエンジンの吹き上がりが気持ちよい。 レスポンスが良いのだ。 アクセルをちょと踏んだ瞬間にウワンと反応する。 しかも1万回転近くまで回るし。

この車の最後はどうなったのかは弟の車だから覚えていない。



ホンダ N360

初めての自分の車です。

中古で13万円、安かったので店で見て翌日買いに行った。

これは私では無い、友人と浜名湖付近で撮ったものだ。

当時の軽は360CCで、有名なのがスバル360だった。 この車は名車と言われているが、後ろの席は狭くて大人が座れたものでは無い。 先輩のスバルの後ろに2時間ほど乗って懲りた。

それに比べてN360は、後ろも大人が楽に乗れるほど広い、そして走りだが、当時のマツダキャロルに乗っていた人が、N360に買い換えて言った言葉が、キャロルは全然加速しなかったが、N360は桁違いに走る。

多分、それまでの軽は普通車のダウンサイジングで設計していたのだろうが、ホンダが初めから普通車を考えずに(持っていなかった)、軽として素直に作ったからだろう。 それに得意な2輪のエンジンを載せたような構造なので、よく走ったのだろう。 2気筒空冷である。 もちろん回転数は高い。

この車で新婚旅行に行った。
神戸から船で四国に渡った。 フェリーで海を渡るので海外旅行と言って。

四国には石鎚山がある。 かなり高さがある山で急勾配が続くが、1000CCの普通車を追い上げて邪魔だと思ったほどよく走った。 ドグミッションが小気味よかった。


この車はFFで、前が重い。 そのために雪道には強い。

大人を4人乗せて、鞍馬から奥の花脊峠を楽々上がった。 普通車でも苦労していた雪の急勾配である。


N360の写真はこれだけしか無い。

しかし、わざわざ一人降ろして、改めて走ってきてこの写真を撮って貰ったのだけれど、こうして撮っていなければ写真は無かった。

これ以後の車も同様に写真は少ない。
皆さんも、自分の車を意識して撮って置いた方が良いと思います。

ということで、私のマイカーの歴史はN360から始まったのでした。

6. ホンダ Z360

新車で買ったはじめての車。




ホンダZ、 カタログでは上だけを写すと車体が長く見えてとても格好が良い。


これはカタログではないが下を切ってみた。
後ろの黒枠が個性的である。
ここがハッチバックになって開く。 人呼んで「水中めがね」

当時は日産のサファリラリー仕様かどうかサファリブラウンの色が流行っていたので、それを買いに行ったのだが、黄緑なら現物がすぐに手に入るとのことで、あっさり黄緑。 思いっきり目立つ色で、家族に責められたが、スーパーの駐車場などで見つけるのはとても簡単。 それなりに気に入った。


N360の空冷から一気に水冷に変わった。 だから音も静かで快適である。

ラジエターのファンを回すのは当時はほとんど全ての車がエンジンの軸からプーリーを介してファンベルトで回していたが、この車は電動ファンである。

ラジエターの水温を検知して必要な時回す。 高級車といえどもファンベルトを夏冬で交換していた時代の先進技術である。

この車で京都から富士五湖を回ったことがある。白糸の滝など見ながら富士山の周りの軽い高低差のある処を走っている内に、パワーが無くなってきた。 山の中なのにえらいことだ。

オーバーヒートである。  電動ファンなのに、とボンネットを開けるとファンが回っていない。 電動ファンはエンジンキーを切っても水温が高いうちは回っている仕組みなので、アイドリング状態ではまだまだ回っているはずなのに回っていない。

試しにバッテリーから、電動ファンのモーターに直接コードを繋ぐとファンが回り出した。
何故その時にコードを持っていたのか覚えていないが、これで、水温は下がりパワーは回復した。 そのまま富士五湖を巡ることに、もちろん駐車するたびに、コードを外して電動ファンを止めないと、バッテリーがあがってしまう。

そのうちに山中湖近く?でホンダのサービス工場を見つけて修理。 温度センサーの不良であった。 後は快適、車を手放すまで一度も故障は無かった。


この橋を知っておられるだろうか? 関西線の大河原にD51を撮りに行ったときに、横の木津川にかかっている、欄干の無い橋だ。

車で通るのは怖いほどだが、車を置いてわざわざ写真を撮った。
実はZの写真はこの時に撮った写真しか無い。 他の写真もこの時で、枯れ草と、泥をはねて車が汚れている写真しか無い。 ピカピカの車だったのに汚く写っている。


これでの長距離ドライブは、前述の富士五湖と、紀伊半島一周だった。



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