わたしの車遍歴 2
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7 . ホンダ CIVIC |
ホンダZに乗っていた頃、前に走っているハッチバックの車が、日本車とは思えないイギリス車のような雰囲気で格好が良いので車種を確かめようとしばらく後を付いて走った。 その車が、ホンダシビックだった。
それまでにホンダはホンダH1300という、DDAC(一体二重空冷)という凝った構造の空冷の乗用車を出していた。 まだ当時としては珍しい普通車での前輪駆動だった。 なんとシングルキャブで100馬力、4連キャブでは115馬力だ、普通の乗用車としては群を抜いていた。 その車の好き好きは大きく分かれたが、少なくても凄い技術が開発されたと思った。 さらにクーペは格好が良かった。
そのH1300の後継がシビックなのであるが、BMWやベンツのような、数値での車名から一転して、シビックという愛称に変わった。
それどころか、最終的にはエンジンは空気で冷やしていると我を張ってDDACを作り出したのに、すんなり水冷にしている。 そして、馬力も一気に60馬力まで落とし、高回転エンジンから低回転トルク優先と大幅に方向転換した。
その結果だれでも運転しやすい一般向けの車に変わったのでした。
そして、形もイギリス風(と私は思った)のハッチバックの小型車となっていた。
新車で購入、色は深みがある赤でえんじに近い。

サンルーフ仕様があったのか? と思われる方がいるかも知れない。
サンルーフ仕様はありません。
自分で開けた。
というよりも、名古屋でサンルーフに改造する店があって、持ち込んでやってもらった。 もちろん車検に通る仕様である。 予約が通じていなくて多少苦労したが、数日でサンルーフになった。
これはS600のオープンで屋根が無いのが気に入っていたからで、大枚をはたいてサンルーフにしたのでした。

サンルーフを開けて記念写真。 下を向いているのはカメラの延長レリーズを押しているからだろう。
砲弾型ミラーが単なる乗用車よりスポーティーな感じを醸している。
バンバーに付けた黒いゴムはオプション仕様。

後ろのハッチバックが開くのが好きだった。 ハッチのメッキ枠がイギリス風だと感じた。
ハッチは格好だけで無く、大きなものを入れるのに便利だし、後席から後ろの荷物を取り出せるのも便利なのでハッチバック以外買ったことが無い。

乗鞍スカイライン。
ここの平湯峠の茶店に子犬ぐらいの熊が鎖で繋がれていた。 かわいらしいので、私の子供が近づいた、2〜3歳ぐらいであったろうか。
くまちゃんと近づいたのだが、足をかまれて転倒して泣き出した。
その写真を撮ってから助けに行ったので、後々まで助けるより写真を撮ったと責められ続けている。
この車はよく売れた。 週刊誌にも「シビックばかり何故売れる?」と書かれたほどだ。 1300で叩かれたのだが一気に形勢逆転ホンダ車の土台を作った車だろう。
そしてCVCCでまた売れて。
追記
友人からのメールで、ヘッドライトうんぬんなどがあったので、改めて思い出すとこの車にかなりいろいろなことをしていたのでした。
ヘッドライトはたしかにハロゲンに変えています。 多分、シビエ。
そして、前述のようにバンバーにゴム(純正)を付けてGL風に。
さらに、室内では、自分でダッシュボードの一部を木の板を使って、木目調にしました。 ローズウッドのオイルステンで木を染めたので、いかにもローズウッドのダッシュボード、本物の木なのでプリントなんかと違いちゃんとした木目があり、しかも厚さがあるので隅に行くほどカーブしながら板厚が薄くなって行く。
これには、点検時に、こんな仕様があったのか?とホンダのエンジニアが頭をかしげて、純正だと思えるほどの仕上げにしていたのです。 改造して安っぽくしている人がいるけれど、そういものとは違う。 高級に見えなければ意味が無い。
ハンドルには革を巻きましたが、市販品の中でシンプルなものを選び、結果として初めから革巻きのような自然な仕上がりに。 ハンドルに革を巻くのは汗を吸うので手が滑らない。 この後も初めから革がついていない車には必ず皮を巻いた覚えがあります。
そして、便利さの追求から、
この車は2ドア、ハッチバックで後ろの窓は横に少し開くだけ。 すなわち窓の下にはガラスが降りてこないただの空間があるだけ。
そこで窓下の室内の側板に穴を開けて、本が置けるほどのポケットを作ったのでした。 家の者が車の内装に穴をあけてどうなることやらと思ったようですが、これも初めからそうなっていたような綺麗な仕上げにして、満足。
などなど、他にもあったかも知れないけれど、アルミホイールに履き替えたかどうか定かでは無い。
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8 . ニッサン ブルーバードSSS |
ブルーバードSSS これは私の車では無い。
若い医師(以下N医師)の車で、新車である。
N医師は私と同じ年に就職しているので少し年上ではあるが同期という感じで親しい。

この車はブルーバードには違いが無いが、この写真がその時の車かどうか分からない。
琵琶湖大橋の横に琵琶湖スピードランドというジムカーナ場があった。 ジムカーナは車が一台ずつ走ってタイムを競う競技であり、大体1分程度の短いコースである。 時々自動車学校のコースなどで行われるが、ここは専用の所なので道幅もカーブ半径も広く、時にはレースも行われたりしていた。
ここで、開かれたジムカーナのノーマルクラスにN医師の車で出ることになった。 当時ブルーバードSSSと言えば、ニッサンがサファリラリーで成績を残していることもあり、かなり魅力的な車だった。
その新車を私にも乗せてくれて交代でジムカーナに出るのである。
当日、大阪の病院で待ち合わせて名神を走って琵琶湖まで行く予定であった。 ところが、病院に行くとN医師の患者の様態が悪くなり琵琶湖に行けなくなったので、お前一人で行ってこいと言われた。
新車を人に貸して、しかもレースまがいの激しい走り方をするのに、自分は行けないからといってもなかなか貸せるものでは無い。
ということで、一人で名神を走って、これがこの車を始めてドライブしたのであるが、琵琶湖スピードランドに着き、ジムカーナに出場した。
ノーマルクラスと改造したクラスがあり、当然ノーマルクラスは購入した状態のままでなければならない。
弟はN360をチューンナップしてサスペンションもハードにした、改造クラスに出ていたはずである(覚えていない)
私はノーマルクラスで出場。 多分20台近く出ていただろうか。 JAF公認の競技なので当然B級ライセンスがいる。 ちゃんと講習を受けて持っていました。
一台ずつ走ってゴールしたら次が走る、だんだん自分の番が近くなってくる。
まあ、運動会の出番待ちです。
そして、用意ドンで走り出して、何とかゴール。
これが2回あって良い方のタイムを取るのだと思ったが、1回だけだったかも知れないし忘れてしまった。
結果は2位、優勝では無いが準優勝だ。
でも、見ていた人達の何人かが、、絶対に1位の車は足周りを改造している、実質あんたが一番やと言ってくれた。 その車はスバルFF1だったが、抗議をするには車を分解する費用などを出した上での抗議になるので、実際には抗議など出来ない。 あくまでも参加者の良識で行うしか無い。
ということで、2位を取れたので車を貸してくれたN医師にも面目が立った。 N医師もこの車は良い車だと証明されたようなもので喜んでくれた。
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9. いろいろな車 |
自分の車ではないが、いろいろの車
ホンダN360 ジムカーナ用

弟のジムカーナ用の車で。 琵琶湖スピードランドなどでのジムカーナに使用。 普段の足には使っていない。

縁を赤で塗装して、ドレスアップ??
なにせ、相当古い車で、室内内張剥がし、助手席も取り払い、安全装置のロールバーを付けてあるし、サスペンションも改造してある。
キャブレターはソレックスをおごり、インテークマニュホールドの内側はガソリンと空気の混合ガスが流れるが、流れ易いように、指を突っ込んでサンドペーパーで内側を磨いたりした。
まだナンバーを付けているが、この後エンジンも500CCにボアアップして公道を走れなくなったので、トラックで運んだ。 だからトラックの運転もした。
まだ、ナンバーを付けていた頃の話
同じ病院に勤めていたY先生は桁違いの車好きで、ひょっとしてこの車はY先生が買って預かっていただけかもしれない。
琵琶湖スピードランドでのジムカーナにY先生が出場。 もちろん改造してあるのでノーマルカークラスでは無く一般の部。
私は8mm映画係、ビデオはまだ無い時代、3分2000円ぐらいかかるフィルムだ。 シングルエイトだったろうか。
Y先生がスタート、カメラで追いかける。 そして、遠くの急なコーナーにさしかかったときに車が大きくロールして転倒してしまった。
そして一回転して元に戻った。 フロントガラスは割れ、屋根も凹んで、ボディーも凹んで見るからに痛々しい。 本人は怪我をしていないので、そこはすでにコースの外であるが、まだ走ろうと頑張っている。 コースアウトした時点で失格なのに。 運動会で転んだ時と同じですね、すぐに起きて走ろうとする!
4点ベルトの効果は絶大で、転がってもかすり傷一つ無いが、車は見るも無惨な姿に。
さてこれからが大変。
この車は私が家から乗って会場まで行ったのですが、これから車屋に修理に持ち込まなければならない。
弟のS600に牽引されて帰ったのですが、牽引される方は大変です。 加速は良いとして、ゆっくり走っているとは言え、前が少しでもブレーキをかけると、すぐにブレーキをかけないと追突しそうになる。
とても神経を使うし、危ない。 実はエンジンもかかるし自走できたのですが、ぼこぼこの車では整備不良とみなされるので牽引していたのです。
途中で牽引は止めて自走し始めたのですが、京都のど真ん中、五条通は3車線ある広い道。 ここをゆっくり走っていると、追い越す車全員が、じろじろと見て行く。
こんないちびった車に乗って飛ばしているからこんな事になるんだ!! と目が言っている。
信号で止まると、横の車からの視線が辛い。
俺が転倒させたんや無い!! 運んでいるだけや!! と言いたいのだが、
ということで、車屋に着くまで非難の視線を浴び続けたのでした。
ニッサン フェアレディー2000

鈴鹿サーキットで使っていた、レース用のフルバージョンである。
当然、レーシングタイヤを履いていて、これもトラックで運んだ。

ハードトップが付いているが、完全なオープン、2シーターだ。
このハードトップを外して、琵琶湖スピードランドで走ったときのこと。
さすがに、馬力があり加速も凄い。
軽のN360とは全然違う。
この車からしたら琵琶湖スピードランドは狭くて、あっというまにコーナーにかかる。 コーナーもきついので、さほどスピードは出せないのだが、迫力はある。
こういうドライブでは、直線は思い切り加速して、コーナーのギリギリまでアクセルを踏み続ける。 コーナーが近づくがまだアクセルを踏んでいるのは怖い。 大藪春彦風に言うと、口から心臓が飛び出すほどの恐怖を感じる時である。
これ以上加速するとコーナーを飛び出すというギリギリのところで思いっきりブレーキをかける。 (とはいえ、自分で運転しているので、怖ければさほどスピードは上げていないのだが。)
そして、遠心力で体を横に引っ張られながらコーナーを曲がるのであるが、曲がっている時はあまり怖くない、 ただ遠心力に絶えて、クリッピングポイントを超えると徐々にアクセルを踏み加速して行く。
N360でもチューンしてあると加速の時に、車体がドッドッドxト と振動して、もの凄いパワーを感じながら加速するのであるが、このフェアレディーは桁違いに馬力がある。
コーナーの途中でそおっとアクセルを吹かすのであるが、それでも、それでも、あっと言う間にスピンしてしまった。 遠心力でタイヤが横方向に精一杯頑張っている時に加速方向に回転をかけると、タイヤの摩擦限界を超えて遠心力に負けて滑り出し、スピンするのだ。
このスピンが、じわっと来るのでは無くて、あっという間にスピン。 さすがにパワーのある車は丁寧にドライブしないととんでもないことになる。
そして、オープンカーでスピンすると、タイヤの粉がパチパチと顔に当って痛い。 滑ってタイヤが減ってカスが出て、それが舞い上がって顔に当って痛い。 これは始めての経験だった。
やはりフルチューンの車は凄いと思ったのでした。 レースに出ている人はこれなんかよりももっと馬力のある暴れそうな車をだましだましねじ伏せながら、思いっきり速く走らせて人と競争しているのだ。
乗用車でドライブしているのとは全く違う世界なのだ。
ニッサン フェアレディーZ

もちろん自分の車では無い。 Y先生が借りてきた車だ。

埋めたて地のまだほとんんど車が通っていない道でそおっと運転したけれど、ぶっつけないようにとても気を遣った。
当時は、いや、今でもそうだけれど、身分不相応の高価な車なのでびびりまくり。
それにしても鼻っ面が長いので、運転感覚にもかなり気を遣った。
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番外 コーナリングライン |
飛ばすのが好きなように思われるかも知れないけれど、理論的に速い走り方がある。 ポールフレールさんなどの著書にコースの取り方が書いてある。それに沿って走れるようになる練習が楽しかった。
コーナーを曲がるときには遠心力が働く、遠心力は半径分の重力×速度の2乗、すなわち mv2/r という式だ。
タイヤの摩擦限界が遠心力を超えると飛び出すので、遠心力が摩擦限界以下で走る。もちろんこれは基本の式で、実際には複雑な要因が絡むのはもちろんであるが、基本的には、車重は一定として、半径と速度の自乗の関係になる。
1図

コーナーを走るとして、一番速く走れるのは、この式から一番大きな半径 r で走れば良いことになる。 それがこのラインだ。
下右から走ってきて、コーナー手前でブレーキをかけ、半径rで走るとvの速度で走れる。 道の外から、内側の点P(クリッピングポイント)をすれて、外側一杯に出て行くのが一番半径が大きい。 この時走行ラインは一定の曲率である。
これがこのコーナーを一番速く走れるラインである。
しかし、コーナーの後のC点までの時間を短く走れるラインはこれと違ってくる。
このラインでは、A点からB点まで同じ速度であり、B点を超さないと加速できない。 (タイヤにかかるベクトルが前方向にもかかるので合成ベクトルが限界を超える)。
そこで
2図

コーナー手前で大きく減速して、かなりきついカーブでコーナーを曲がり、途中からコーナーの出口に向かって徐々に加速して行く走り方である。
クリッピングポイントは奥になる。 その辺りから半径が大きくなって行くので、それに合わせてコーナーの途中から徐々に加速する。
こうすると、コーナーを回っている速度は遅いのだけれど、B点に達した時の速度は1図の最大半径よりも速くなる。 しかし、B点に到達する時間は1図の方が早く着いている。
しかし、ここからC点に向かっての加速で、1図でのB点の速度が100kmとして、2図では110kmと10km速いとすると、同じ加速率で加速して行くと、1図で110kmになったときには、2図では120km、同様に常に2図の方が10km速度が速くなり、途中で追い越すこととなり、結果としてC点に着いたときには、2図のコースの取り方の方が早く到達する。
この2図のコースの取り方を理想ラインと言い、スローインファストアウトと言う。
もちろんこれは、C点までの距離により異なるので、理想ラインはケースバイケースで微妙に変化する。 またエンジンパワーやタイヤにもより異なる。
フェアレディー2000で簡単にスピンしたのは加速力が強かったために横方向の耐力に耐えられなかったからである。
一方、出来るだけ速く走ろうと、コーナーに突っ込むタイプの人がいる。
3図

少しだけブレーキをかけて、高速でコーナーに突っ込むと回りきれずに、青い線のようにコースから飛び出す。 クリッピングポイントもずいぶん手前になる。
そして、何とか途中でブレーキをかけてコーナーを曲がりきれても、B点での速度はよちよち歩きのように遅くなってC点への到達は当然遅れる。
これは一般道でも絶対にやってはいけない走り方で、左カーブなら対向車線にはみ出して正面衝突をすることにもなる。
一般道ではカーブの手前では出来るだけ減速して2図のコースを取るようにして、レースでは無いので加速はほどほどにしておくと最も安全な走り方になる。
2図の理想ラインは車のエンジンパワーにもよるが、エンジンが小さな車両などでは
図4

インインインというか、インベタというか、カーブの内側に沿った走りが案外早かったりする。
もう少し複雑なS字を考えて
図5

今までの応用で考えて、最後のカーブの先に長い直線があれば、3番目のカーブの出口で出来るだけ加速できているように1番、2番目のカーブのラインを考える必要がある。 初めの2つのカーブは殺して(この場合は2のカーブの前で少しきつく曲がっている)、3番目を理想的なラインにする。
という、理論的な走り方を書きましたが、私はこれに沿って走れるように練習したのでした。
言っとくけれど、ゆっくり走るのであれば誰でも理想ラインで走れるけれど、車の限界、これ以上早速ければタイヤが滑ってスピンや飛び出すギリギリのところでこのライン通り走るのは難しい。
でも、結果がタイムという客観的なもので現れるので、うまく走れると怖くなくて良いタイムが出る。 しかし、気負いすぎると3図のようにオーバースピードで突っ込んで怖い目をしたり、ゆっくり走るとライン通り走れていてもタイムは遅い。
以上理論上の話ですが、実際のドライバーはスローインファストアウトでは無く、ファストインファストアウトで走っている。 コーナ進入を速くして、かつ、飛び出さないように車体の向きを変えるテクニックを使っている。
レースで追い越すときには3図のようなラインを取る。 タイムが遅くなっても抜くためだ、
また、S字の途中で車体の向きをリズムに乗って変えたりいろいろなテクニックがあるようだ。
私が書くより弟の方が遙かに、遙かに専門的に書けるし、動画も弟が「フォーミュラードライビング入門」というビデオを出していた。


このビデオは理論だけでは無くて、弟が実際にフォーミュラーカーを運転して実例を示している。
ここまで書いたことを弟に確かめると、横方向の力についてはまあ良い。 実際には縦方向(4輪それぞれの重力方向 m)もかなりややこしい事が山にあるそうで、そのことは私にはとても書けないが、高速走行講習会では話をしているらしい。
F1ドライバーなどを見ていると、こんな理論は関係無しに、凄い走りをしているように見える。 日本人は練習をして速くなるタイプが多いが、外人は本能的に速い。 草食系と肉食系の違いだろうか。
結果的に理論に沿った走りの応用になっているのだが、本能で理想的な走りになっている。
鈴鹿でのグランプリで日本人が出ていた頃、アナウンサーが、日本人は地の利を生かして何百周も鈴鹿を走り込んでいるので有利だろう、と言っていたが、ドイツ人のベッテルなど始めての鈴鹿でものの4周も走ればコースレコードを出すほどだ。
そういうF1ドライバーがたくさんいるので、予選など、0.05秒ほどの僅差の中に何台も入ってくる。
まさに、ほんの僅かなミスも起こされないほど、理想的な走りをしているのが分かる。
ということで、理論に沿った走りが面白かったし、一般道でもスローインファストアウトは安全なので、意識して安全なラインを取って走っています。
ゆっくりとね。
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10 ホンダ クイント Quint |
やっと自分の車を書くことに
時代的には1981年、Nゲージの私鉄レイアウトを作り始めた頃だ。
シビックに長年乗った後次の車は何にしようか?
ハッチバックは絶対に必要、そしてやはり2ドアは不便、4ドアが欲しい!
と言う事で、調べていたら、ホンダにはクイントという車があった。
あまり聞き慣れない車で、走っているところは殆ど見たことが無い。
カタログ

なかなか格好が良い。 まあ、カタログは当然でしょうが。
他に赤や緑、白などがある。
それを、ホンダの中古車店で見つけて購入。
中古です。

カタログと同じ空色のメタリック。
5ドアハッチバックで1600CC、CVCC2 だと記憶している。
綺麗な色で、格好が良いが、何故か人気が無い。
後席を倒すとハッチ部分まで広い空間が出来て、子供達が小学校ぐらいだったので長距離ドライブではベッド代わりによく寝ていた。 シートベルト着用義務など無い時代だ。 本当に便利だった。

角形ライト、 ライトが丸ばかりだった頃、変形ライトが現れだした初期だろう。
ホイールをアルミスポークに変えている。

光線具合によって紫がかって見えてとても綺麗だった。
この車で京都から和歌山に向かっていた。
まだ阪和道が無かった頃だ。 大阪の堺辺りでパワーが落ちてきた。
そして、エンジンが止まってしまった。
和歌山までは遠いのに、、、 近くにガソリンスタンドが見えたので、車を置いてスタンドで事情を話し、スタンドまで車を押してボンネットを開けて点検して貰っていた。
スタンドの人が、プラグを外して、プラグの発火を見ていた。
その時にその発火からガソリンに火が付いてキャブレター辺りから炎があがったのだ。
車が燃える!! と思った。 ガソリンスタンドの人は必死になって、布で火を消した。 ほっとした。
さて、故障は、キャブレターの中に浮きがある。 水洗トイレの浮きと同じようなもので、ガソリンタンクからキャブレターに来るガソリンの量を調整するものだ。
浮きは小さなピンポン球のようなものだが、それに小さな穴が開いていて中にガソリンが入って、沈んでしまって浮きの役目を果たしていない。 だからガソリンがどんどん流れてきてエンジンに入り込んで、爆発しなくてエンジンが止まったのだ。
スペアのパーツ(浮き)は無いので、浮きを振って中のガソリンを出して、組み立ていると見事エンジンはかかった。 取りあえず応急修理してくれたのだ。
これで、和歌山まで走行開始。 目的地近くでだんだんパワーが落ちてきたけれど、なんとか到達。
翌朝、自分でボンネットを開け、ガソリンスタンドで見たように、キャブレターを分解して中の浮きを出して、振って中に溜まったガソリンを出して、家路についたのでした。
京都に着くまで、2回ほどそんなことをして、何とか家にたどり着いた。
さっそくホンダのSF(サービス工場)におもむき、修理を頼むのでは無く、浮きを買って、自分で付け替えて修理完了。 安く付いた。
以後はずっと快調でした。
これに8年乗った、さて次の車は?
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