ロンドンに着きました。
いよいよ、この旅のメインイベント、オリエント急行に乗ります。
31 ビクトリア駅
6日目 このツアーのハイライト、オリエント急行に乗る日だ。 朝から少し風邪気味で頭が痛いが、我慢してタクシーでビクトリア駅に向かう。
ロンドンのタクシーは久しぶりだが、数人乗っても広いし昔と同じ形で落ち着いて良い。
後年撮った写真。 コマーシャルが描かれたものも出てきた。 黒だけではなくてシルバーやピンクもある。 後ろは向かい合わせに座れて広い。
紳士の国イギリスと思うが、タクシーがビクトリア駅の近くに来たとき、観光バスが前を横切った。 危なく当たるところだった。 するとタクシーの運転手がどなって、降りていってバスを止めた。 かなりきつい口調で文句を言っている。
われわれは、タクシーの中から、「やっとるやっとる、だいぶ文句垂れてる」と高みの見物だった。
ビクトリア駅。
オリエント急行の乗り場はチェックインする受付があって、まずそこで手続きをしなければならない。
後ろにオリエント急行の立派な称号が飾ってあるカウンターでチェックインをする 。 この時点で頭痛はどこかに吹き飛んでしまった。
さあ、いよいよ列車に乗り込むのだが、イギリスのオリエント急行はヨーロッパ大陸の車輌と違ってイギリス独特の形をしていて窓が大きい。 色も大陸は濃いブルーだが、こちらは窓の部分が黄土色系でその他は茶色と茶系統で落ち着いている。
もともとオリエント急行はロンドン発のベニス行きや、時代によってトルコ行きであった。 しかし、イギリスと大陸の間にはドーバー海峡があり連絡船で繋いでいるものの、車輌は渡れないので独自の車輌となった。
もちろん今は、そんなに遠くに行く定期列車ではなく、オリエント急行ランチトリップという、ロンドン近郊を回りながら食事をとる特別列車である。
ロンドンからこの列車が走る地域の地図だが、カンタベリーはわかるが他はよくわからない。
車内は昔ながらの部屋と言う感じで列車内とは思えない。昔の宮殿の家具と思えるような立派なテーブルや椅子もペアごとに形が違い、大きさが違うので通路はほんの少しだが曲がりくねっている。 ゆったりと腰掛けるというより、体が小さいので椅子の中で体が遊んでいるという感じだ。
すでにテーブルの上にはグラス類やナイフなどが置かれ、まるでホテルのテーブルだ。 私は横に2人並ぶ席で、隣は早稲田大学のK倉教授だった。 多分定年間近の70才ぐらいと思われる品の良い先生で、工学部だと聞いた。
われわれの車輌は有名なチャーチルの葬儀に使われたそうで、たくさん連結している中でも特に立派だそうだ。 壁はローズウッドと思われるが、今時の薄い張りぼてではない、本物だ、それに木象眼で模様が描かれている
32. オリエント急行
機関車はこれ、たぶん電気機関車。 イギリスは3線式なのでパンタグラフがないから分からない。
列車は滑るようにと言うほどではないが、ビクトリア駅を出発した。
車の道は家の表を通るが、鉄道の線路は家の裏を走るので、町中では決して景色は良くない。 特にロンドンの景色は綺麗ではない。 オリエント急行に似合わないと思っても仕方がない。
やがて、立派な服装をしたボーイ達が飲み物や肉を焼く程度などを聞いて回る。 今までツアーで安物の店しか入っていないので、ネクタイを着用したのは初めてだ。 皆、人が変わったように紳士に見える。 ボーイにもかしこまった態度で対応している。 もっともネクタイが全然似合わない若者もいたが、。
K倉先生と、少しかしこまる。 それにして大きな椅子だ。
やがてワインが来て、フルコースの食事が来だした。
K倉先生は寝酒にウイスキーを持って歩いているぐらいの人なので、おいしそうにワインを飲む。
旅行に出たときに夜興奮して眠れないことがよくある。 あまり日常見慣れない色々なことが起きるので、頭が興奮してしまうのだ。 それで寝られないと疲れがたまり、旅行が苦痛になる。 そこで私は最近鎮静剤を持って行くが、K倉先生はポケットサイズのウイスキーと言うわけだ。
適量で眠れるし、薬より体に良いとの説だった。 このK倉先生とも翌年のツアーでお会いしたが、その後数年で癌で亡くなられた。 オリエント急行は先生との良い思い出になった。
食事は次々に来る、特においしかったのはチーズだ。 デザートが出て一息ついたところで、他の車輌を見学に行く。 他の客の迷惑にならないかと思ったが、ボーイ長が是非見て下さいというので、行くのだ。
車輌によって内装は異なり、それぞれの車輌ごとに象眼やガラスの画の模様に鳥とか鹿とかテーマがあるようだ。 椅子の基調の色も違う。オープン車輌の席は他の客がいなくて空いていたので、見やすかったが、あまりうろうろするのも品がないようで適当に引き上げた。 この雰囲気に自ずとかしこまってしまう。
途中、コンパートメントに若いカップルがいた。 コンパートメントなので部屋になっており、はっきり見えなかったが、男は蝶ネクタイに黒の正装、女もドレスのようで、金髪、青い目と合わせて実に車輌に合っており、まるでヨーロッパ貴族の生活をかいま見るようだった。
ネクタイ着用と言われた意味が分かったが、本来はもっと正装をして乗るべきで、それが列車の車格とか雰囲気を上げることになるのだろう。 とても日本ではこのような雰囲気をもてるような場所もないし、フォーマルをフォーマルと思わない人間が増え、伝統が無くなって行くのだろう。やはり大英帝国はすごい。
列車は田園地帯をゆっくりと走っている。2月と言う時期は緑がない。 多分、春なら良かったのだろうが延々と土色の景色がつづく、お腹を膨らませて、ビデオカメラを窓際に置いて外を映しながら本人は居眠りをしている人もいる。 K村昭さんだ、後からビデオで景色を見る算段だろう。
K村昭さんと、まだ居眠りをする前。 立派な車両を見て下さい。
もっと、内装の写真を撮れば良かった。
やがてロチェスターを過ぎ、カンタベリーに着いた。 古い教会で有名な街だが、ドアは開かない。 単に止まるだけだ。
窓から下を見ると、線路が3本ある。 イギリスの鉄道は他の国と異なり、架線がない。その代わり線路の横にもう一本電気のための線路がある。 日本でも地下鉄はたまにそうなっているが、われわれの感覚だと感電しそうで怖い。 特に踏切ではどうなっているのか不思議だ。
やがて、帰途につく頃、ボーイがオリエント急行グッズを売りに来る。ネクタイ、バッジ、皿等々。好きな者の集まりなので飛ぶように売れる。
わたしもバッジとタイピンを買った。 今日探したら出てきた。
そして、タイピンのケースを開けると、ネクタイピンが無い。 紛失したようだ。 でも頭の中にはブルー系の奇麗なタイピンの形ははっきり残っている。
33. トラブル
ビクトリア駅に戻り、全員で客車をバックに記念撮影をして、オリエント急行と別れを告げたとき、事件が起こった。
ボーイ長が怖い顔をして小亀ツアーコンダクターに迫って行って、なにやら話している。 雰囲気は良くない。 オリエント急行殺人事件が起きるかと思われたその時、小亀さんが平謝りに謝りだした。
多分チップのことだろうと思った。 日本人の悲しさ、ボーイにチップを渡すのを忘れていたのである。 ツアー参加者としては、このランチはツアーに含まれているのでまったくチップのことは頭に浮かばなかったのだ。 しかし、これは想像なので、ひょとしたら他に旅行会社と何かの行き違いがあたのかもしれないが、無事収まった。
ボーイさんと記念写真。
解散後、何人かがロンドンを見たいと言い出した。 そこで、以前ロンドンに来たことがあるのでウエストミンスターまで地下鉄で案内する。
ウエストミンスター教会
左はビックベン
ビックベンをバックにロンドンの警官が格好良く歩いている様などをM本さんが一所懸命ビデオに収めだした頃、頭が痛くなりだした。 熱もあるようである。 そこで一人でホテルに帰ることにする。
ホテルのあるウエストケンジントンの駅前で軽食を食べた後、旅行カバンを売っている店が目に入った。 セールと書いてある。 大きな旅行用トランクが5000円ほどである。
今回は列車に乗るのでトランクは良くないと言われて大きなリュックを買ってきたが、車輪が着いてないので重いし以外とじゃまだ。 そこで思い切ってトランクを買い、空のままホテルまでごろごろ引いて行く。
すぐにベットに入ったら、本格的に熱が出てきた。 旅先で病気というのは辛いが、多分昨日のバーデンの温泉で昼寝をして風邪を引いたのだろう。バスタオルを体に巻き付けて大汗かいたら、翌朝治っていた。
34 帰国
今日は帰国の日だ、ヒースロー空港は先日ハイジャックがあったとかで、検査が厳しく長い列が出来ていたが無事に通過し、フランクフルト空港に向かう。
そこで成田行きに乗り換える。
ツアー、全行程
旅の事故は帰りに起きやすい。 帰れることで気がゆるむからだ。
フランクフルト空港で降りて話しながら人の後について歩いていた。 そして検査官がいるところを通るのであるが、前の人は通過したのに私は検査官に止められた。 何で捕まったのだろうと思わずどきっとする。 行ってはいけない戻れと言っているようだ。
そこへ小亀さんが来て、「そこはドイツへの入国の場所で、われわれは乗換だけなので出てはいけません。 乗換ターミナルに行きます」と言うではないか。 なにげなしに、何の掲示も見ずに人の後ろに着いていたので、あぶなく空港から出てしてしまうところだった。
止められて良かったが、すでに何人か出てしまっている(ドイツに入国している)のである。 小亀さんを初め何人かが、やむを得ず入国して探しに行く。 多分見つけた後、出国手続きをして入ってくるのだろう。
色々あったが無事成田にもどり、成田エクスプレス、新幹線で京都に帰る。行くときは気にとめていなかったが、日本の列車もすばらしいと改めて感じたのだった。
35. エピローグ
この年が初めての鉄道模型紀行であったが、評判が良いのでその後何回か開催されている。 しかしこの一回目は毎日ホテルが代わり、強行軍だったので翌年からはこの経験を生かし、ホテルは2カ所程度で連泊とし、後はユーレイルパスで各自好きなように乗り放題の、自由度の高いツアーになり、ますます面白みを増すようになった。
「1993年第一回鉄道模型紀行
ヨーロッパ鉄道模型紀行とオリエント急行ランチトリップ」 を終わります。
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